園長ブログ

絵本

2012/12/29

多くの方々に支えていただいて保育させていただくことができる。本当にありがたいことです。それなにのに、ついつい自分がやっていると思い込んでしまいがちです。気をつけなくてはなりません。

いつも子どもたちのことを気にかけていてくださるお寺のご信徒の方がたくさんいらっしゃいます。毎年、いちごがり、いもほり、大根の収穫など子どもたちのために畑を耕し、作物の世話をしてくださっている方、鞍馬に来るたびに園を様子を見に来てくださる方などなど・・・

ある方から、子どもたちにステキな絵本のプレゼントをいただきました。世界に2冊だけしかない、手作りの絵本です。もちろんストーリーもオリジナルで、「つね吉」という子狐が保育園に行くというお話しです。当園そっくりの保育園が「お山の保育園」という名前で出てきますし、絵の中にもどこかで見たこと名ある景色、鞍馬の山やお寺の境内、当園の行事そっくりの行事、お泊まり保育、節分のまめまき、お寺の貫主様と一緒にお参りしていただく観音様のお参りなど、園児達が常日頃経験していることが絵にあらわされています。

そんなステキな絵本を作っていただける。それだけでも、感動的です。手作りは、ストーリー、挿絵だけにとどまりません。印刷から製本、装丁までご自身で行われたそうです。随分苦労されたのではないかと思います。そんなにも、保育園のこと、園児のことを考えてくださって本当に感動的です。

その絵本を読もうと手に取ったら、どこか温かいものが伝わってきたのはのは、表紙が布製だったからだけではないと思います。ありがとうございます。

みなさんのおかげで 2

2012/12/28

何でも自分一人だけでできるわけではない。自分のできないところは誰かに手伝ってと言えることこそが自立です。
保育だって、保育士だけが保育をしているのではありません。調理も用務も主任も副主任も園長もみんながそれぞれの役割を果たし、力を合わせて行っているのです。そして、そこに保護者の皆様が加わってくださっているのです。というより、保護者の皆様が楽しく子育てができるように、保育園がサポートしているといった方が良いかもしれません。

主役はあくまでも子どもです。子どもがどう育つか、子どもがより良く育つことってどんなことなのかを皆で一緒に考え、行うことができると良いと思います。「子どもの最善の利益」ということばがよく使われますが、それって何なのでしょうか?皆で理解を深めてゆきたいと思います。

みんなが力を合わせるという時の「みんな」はなにも直接子どもに関わる保護者や、保育園の職員に限ったことではありません。当園で言えば、地域の方々や、お寺の職員の皆さん、お寺の信徒の皆さんもいらっしゃいます。地域の皆様は時々園に来てくださいますし、お寺の職員さんには何かあるごとに手伝っていただいています。特に行事の時は大変お世話になっています。もちろんそこにとどまらず、多くの方に心を運んでいただいていることを実感することがあります。

昨年もブログに書きましたが、毎年12月にいちごをたくさん送ってくださる方がいらっしゃいます。福岡県筑後市の水田幼児園という保育園の園長先生です。5〜6年も前になると思いますが、たまたま鞍馬にいらしていた園長先生と当園の園児がお寺の境内で出会ったというご縁から、他では見られない口にすることができないような、すばらしいいちごを毎年たくさん送ってくださるのです。大きくて甘くて、「こんないちご食べたことない。」と思うようないちごです。今年もそのいちごを届けていただきました。

また、サーターアンダーギーがおいしいからと毎年、沖縄のお店に注文して送ってくださる方もあります。

こんなにも、園のことや子どもたちのことを考えてくださっている方がいらっしゃるという事実をしっかりと受けとめて、多くの方々の支えによって子どもたちを支えることができるのだから、誠心誠意、心を尽くして保育をしてゆかなくてはと改めて思い直します。

みなさんのおかげで 1

2012/12/27

今朝の気温は氷点下、まさに真冬並みの寒さです。12月にしてこの寒さは、近年まれだと思います。12月はいろいろなことがあってバタバタと過ぎてしまい、あっという間に年末になってしまいました。やり残したこともたくさんありますが、できる事は精一杯やったつもりです。自分の身の丈に合ったことをしっかりとわきまえて、全力を出せる範囲でやれば、楽しく充実してできるのに、ついつい欲が出てしまって抱え込むから焦ってしまい、自分も苦しくなるし周りの人も苦しめてしまうことがあります。

自分をちゃんと知ることが大切だと言われますが、自分って本当にわからないものだと思います。自分自身にしっかりと向き合って自分自身をみつめて、何が得意で何が苦手なのか、強みや弱みどこなのかをわきまえることが大切なのです。それができるからこそ自立ができるのです。

自立とは何でしょう?子どものことで言うと、何でも自分でできるようになることが自立だと思いがちですし、何でもひとりでできるように!と思ってしまいます。ところが、自立というのは自分でできる事は何か、自分でできないことは何かがわかっていて、できる事は自分でして、できないことはできる人に手伝ってと頼めることなのです。そして、子どもは無理なく自然にちゃんと育っていれば、1歳でもそれができるのです。

当然と言えば当然です。何でもかんでも自分でできるなんていう思いこみは、自分の欲に振り回されているだけなのでしょう。どうしてもここに陥りやすいので気をつけなければなりません。何でも自分だけでできてしまうのであれば社会は必要ないわけで、社会を作ることで繁栄してきたホモサピエンスという人類は、社会がなくなれば、生存してゆく事ができなくなってしまうのでしょうか。

保育園だって、保育士だけが保育をしているわけではなく、みんながそれぞれに助け合いながら保育をしているのです。それができていないと思っていても、本当はちゃんとできているのです。

触るということ 5

2012/12/26

赤ちゃんにとっての触覚は大人にとっての触覚よりも、ずっと重要な意味があるようです。「触覚」といったときには、赤ちゃんが自分から何かに触ることと、誰かに触られるという2種類があります。どちらも皮膚で感じるので同じように思えるのですが、大きなちがいがあります。赤ちゃんが自らさわるためには「動く」ことが必要です。能動的に運動し触覚を使っていると言えます。それに比べて触られるのは赤ちゃんが動かなくても外からやってきます。受動的な感覚入力です。

赤ちゃんはお母さんや養育者との相互作用の中で発達してゆくといわれています。赤ちゃんの姿はかわいらしくて、大人はついつい声をかけたりあやしたりしたりしたくなります。大人はあやしてあげていると思いがちですが、実はかわいらしい姿を見ているとあやしたくなるのです。赤ちゃんはかわいらしい姿をもって、大人のあやすという行動を引き出しているのです。触るということも、赤ちゃんが触って、お母さんが触り返すということが愛着形成の基本形なのだそうです。赤ちゃんが触ったときに、タイミング良くお母さんが触り返してくれることが大切。あくまでも赤ちゃんが主体なのですね。

そうして、赤ちゃんが発達して動きの種類が増えてきたときに、様々な動きを経験できる方が良いそうです。様々な動きをしようと思えば、様々な環境が必要になってきます。多様な環境があるからこそ多様な運動パターンを経験することができるのです。発達しょうがいといわれる子どもたちには運動パターンが少ない傾向の子がいるので、運動パターンを多様化することが療育につながるのだそうです。

多様な環境があり、多様な環境に応じて赤ちゃんがかかわってゆくことを研究室で調べるのは難しいと小西先生はおっしゃっていました。それができるのは、保育現場なのかもしれません。

日本赤ちゃん学会理事長 小西行郎 先生から、赤ちゃんにとっての触ることについてのお話しを聞いて思ったことを少し書かせていただきました。私の理解不足のため不正確な部分もあるかもしれません。お許しください。

クリスマス

2012/12/25

今年もクリスマスがやってきました。町は美しいイルミネーションで飾られ、どこかわくわくするという人も多いのではないでしょうか。そして、子どもたちのいちばんの楽しみはもちろんプレゼントでしょう。

クリスマスって何でしょう?もちろんイエス キリストの降誕をお祝いするのがクリスマスです。少なくともキリスト教ではそうですし、「クリスマスって何の日?」と聞くとイエス キリストが生まれた日と答える人が多いと思います。私も全くキリスト教の行事だと思っていましたし、事実そうです。

子どもたちは、プレゼントをはじめとして、いろいろ楽しいことがあるので、1年のうちでも大好きな日の一つだと思います。子どもたちのこの嬉しい気持ちを大切にしたい。でも、ただプレゼントをもらえる日にしてしまうのは、ちょっと違うような気がする。と思っていた私は、子どもたちに「クリスマスって何かな?」と聞いてみました。圧倒的に多かった答えが「サンタさんが来る日」でした。そこでひとこと言いたくなりました。「あのね、クリスマスというのはね・・・」でも、それはやめて「わかった人がいたら教えて」とだけ言いました。子どもたち一人一人にそれぞれのクリスマスがあって良いのだと思ったのです。

先日のブログで「冬至」を取り上げたときに、冬至について調べているうちに、クリスマスは、もともと冬至の行事なのだと知りました。

世界中に冬至にまつわる様々な風習があるそうです。冬至は昼が最も短く夜がもっとも長い日です。昔の人にしてみれば、冬至に向かって太陽の出ている時間が少しずつ短く、そして寒くなってくる時期は、どこか心細く感じます。そして、冬至を境に太陽が復活するかのように昼が長くなってゆく事は希望につながると思います。だからこそ、冬至をひとつの節目とするところが多いのかもしれません。

以前、10月のフィンランドに行ったことがありました。その時感じたのは「暗いな」ということです。10月でも太陽が昇ってくるのは遅いし沈んでゆくのは早いのです。つまり暗い時間が長いのです。雪も積もり始めていましたし寒いのは当然ですが、夜が長いというのは気が滅入る原因になりかねないと感じました。旅行で少しいただけでもそうなのですから、住んでいる人にとっては、昼が長くなるというのは喜びなのだろうと思います。

自然に翻弄されながらも自然に寄り添って生きていきた人間、自然の移り変わりにを敏感に感じ、意味を見いだしてきたのだと思います。新しい太陽の誕生を喜んで迎える。そんな自然で素直な心が、クリスマスを生み出したのかもしれません。

触るということ 4

2012/12/24

運動行為を共有することが共感することにつながる。共通する運動行為があるからこそ、他者の行動・運動を見たときに自分が同じ行動、運動をしているかのように感じることができ、共感できるのでしょう。誰かが頭をぶつけるのを見て「痛そう!」と感じるのは、自分が頭をぶつけるという運動行為とそれに伴う「痛い」という感覚がなければ感じられないと思います。相手の行為を見て、あたかも自分自身がそれを行っているかのように反応する脳の神経回路、ミラニューロンが働くためにも共通する運動行為が必要なのでしょう。

そういう意味からも赤ちゃんは先ず「動く」ことからはじまるのです。大人は視覚優位なので、「見る」→「聞く」→「考える」→「動く」という順で外界を認知し行動しますが、乳児は「動く」→「触れる」→「見る」→「考える」という順なのだそうです。つまり、最初は運動することで触覚から情報を得、そして聴覚、視覚と感覚の主座が変わってゆくにしたがって、それらの感覚を動員して外界を認知してゆくのだと思います。運動と感覚が相互作用することによって発達してゆくということなのでしょう。

赤ちゃんには共感覚というのがあるそうです。赤ちゃんに目隠しをしてしばらくの間、おしゃぶりを吸ってもらいます。そしてそのおしゃぶりを赤ちゃんの口から離して目隠しを取り、いくつかの他の形のおしゃぶりに混ぜて赤ちゃんに見せると、自分の吸っていたおしゃぶりを一番よく見るそうです。つまり、口や舌から入ってきた触覚刺激を視覚的に認識している、言い換えれば口で見ているということです。

赤ちゃんの口は大人が思っているより忙しそうです。母乳を飲む以外にも、共感覚のように口で見ることもしていますし、口で探ることもしています。触覚をフルに使っているのです。赤ちゃんに取っての触覚は大人にとってのそれとは意味合いが違うようです。

触るということ 3

2012/12/23

赤ちゃんは、おかあさんのおなかの中で、あらゆる動きをしています。笑顔、しかめっ面、いろいろな表情もしています。YouTubeには4Dエコーの動画があるので、おなかの中で盛んに動く赤ちゃんの動画を見ることができます。表情というのは顔の筋肉の運動ですから、顔の筋肉も動かしているのです。これは豊かな表情を作る練習をしているのかもしれません。生まれ出てからステキな笑顔で大人にほほえみかければ、大人は喜んで面倒を見てくれるのですから、特に笑顔の練習はしておく必要があるかもしれません。自分では何もできない赤ちゃんは、大人に面倒を見てもらわないと生きて行けないので、大人が面倒を見たくなるように仕掛けている。これが赤ちゃんの生存戦略だといわれています。

赤ちゃんが様々な表情をすることは、コミュニケーションを深めるために必要な方法なのです。表情の少ない子は、コミュニケーションが苦手、表情が読めない、共感しにくい等の特徴が現れることが多いそうです。

共感することが大切だと言われていますが、共感するためには運動行為が共有できている、共通する運動行為が存在することが重要なのだそうです。自分の運動を通して共感するということなのだと思います。

共感を司っているといわれる脳の神経細胞にミラーニューロンというのがあります。このミラーニューロンはイタリアにのパルマ大学のジャコーモ・リッツォラッティ氏らによって、1996年に発見されました。実験のために電極を埋め込まれたマカクザルが、研究者が食べ物を拾ったのを見たときに、マカクザル自身が食べ物を取ったときに反応するのと同じ脳の反応をしたのです。鏡のような働きをするのでミラーニューロと呼ばれるそうです。ミラーニューロンが関わっているのではないかと考えられている機能は、他者理解、共感、言語などいろいろあるそうですが、まだまだこれからの研究を待たなくてはならない部分も多いようです。

赤ちゃんが笑うことで、大人の笑顔を引き出し、少しずつ共感させ、共感し、コミュニケーションを深めてゆくのでしょうか。そのために赤ちゃんはおかあさんのおなかの中で様々な表情を練習しているのかもしれません。

触るということ 2

2012/12/22

赤ちゃんはお母さんの中の中で様々な動きをしているそうです。驚いたようにびくっとする動き、しゃっくり、首を後ろに曲げる、顔を回す、手で顔を触ることなどをはじめ、たくさん動いています。

一番早く出現する感覚は触覚で、妊娠8週くらいから動くことで触覚を使っているのです。次に使い出すのが聴覚ですが、これは20週を過ぎてから機能するらしく、胎児の期間のほぼ半分は触覚だけで生きているといえます。

おなかのなかでは自分の指を口にもってゆく、いわゆる指しゃぶりもしています。この指しゃぶりというのは、当たり前ですが口と指が触れることです。口も指先もとても敏感な部分であり、触覚が最も早く出現する場所なのだそうです。指しゃぶりをすることで口で指を知り、指で口を知る、それが自分の身体を知ることにつながってゆくのかもしれません。また、指しゃぶりをよくする手が利き手になることが多いと言うことも知りました。

最近は技術の進歩で、お腹の中の胎児の様子が3Dエコー(立体画像)や4Dエコー(立体動画)で見ることができ、赤ちゃんの動きまでよくわかるようですが、胎児を研究するために未熟児を観察するという方法もあると知りました。赤ちゃんは早く生まれてしまっても、NICU(新生児集中治療室)でお母さんのおなかのなかとほぼ同じ発達をたどるのです。そんな赤ちゃんは、を観察していると、自分の身体のいたるところを触っています。頭から足へと触ってゆく傾向があるそうです。もちろん口も触っています。

小西先生は口は感覚器官だとおっしゃっていました。なのに、感覚器官としての口の役割は、あまり保育では活かされていないのではないかという問いかけをしてくださいました。

確かに「五感をしっかりと使う」といっても、触覚というと、すぐに手、指先と結びつけて考えてしまいますが、触覚は全身の感覚です。しかし、口となると何でもかんでも口に入れるのは衛生的でない。という思いが先立ってしまって、積極的に保育に取り入れることを躊躇しがちです。口をどう使うのか。ある程度衛生的に口で触ることをたくさんさせてあげるような環境があると良いかもしれません。

冬至

2012/12/21

今日は二十四節季の冬至です。1年のうちで昼が一番短く、夜が長い日です。この日を境に昼が長くなってゆくので、この日を1年の始まりと考えていたこともあるといわれています。現代の便利な生活では、それこそ昼夜の長さをそれほど気にせずに過ごそうと思えば過ごせます。しかし昔の人にとってはとても重要なことだったのだと思われます。冬には太陽が見える時間がどんどん短くなってゆくのですから、不安でしょうし、冬至を境に少しずつ昼が長くなってゆくというのは嬉しいことだったのではないでしょうか。世界の各地で、冬至にまつわる行事がいろいろ行われているようです。特に北極圏などの高緯度地域では、太陽も高くは昇らず、日が昇ったと思ったらすぐにまた長い夜がやってくるとなると、昼が長くなるのは待ち遠しいことだと思います。クリスマスの起源はこの冬至のおまつりだともいわれています。

日本の冬至といえば、かぼちゃにを食べることとゆず湯が有名ですが、ビタミンやカロチンを多く含むかぼちゃは野菜の少ない季節に栄養を補給するのに良いので食べられるようになり、冬至にかぼちゃをたべると風邪をひかないなどといわれるようです。

ゆず湯は江戸時代頃からはじまった習慣のようで、血行をよくする効果があり、冷え性や風邪の予防などに効果があるとされています。

ゆずといえば、11月のある日、園に行くと柚のとても良い香りがしていました。香りに誘われて、保育室の方へ言ってみると。たくさんのゆずを保育士と調理員が鍋で煮ているのです。このゆずどうしたのと聞くと。園庭の生け垣に柚の木があってたくさん実がなっていたので、ゆずジャムを作っているというのです。そういえば、そんな木があったなくらいにしか覚えていなかったので、これほどたくさんのみをつけているとは、驚きでした。ゆずに砂糖を加えて煮詰めてジャム状にしたものを、お湯で薄めてゆずジュースにして子どもたちと飲んでみようとしていたようです。

少し味見をさせてもらったのですが、かなり苦味があるように思ったので、子どもが飲むのか少し気になりましたが、その日はあいにく出かける予定が合ったので、子どもたちと一緒にいただくことはできませんでしたが、あとで様子を聞くと、みんな喜んで飲んでいたそうです。自分たちが収穫したゆずがジュースになって出てきたのですから、嬉し飼ったのだと思います。

こういった自然の食べ物を見つけて、子どもたちと工夫しながらいただくのって、ステキだと思いました。

たくさんとれた柚の実

  鮮やかな色のゆずジャム

触るということ 1

2012/12/20

日本赤ちゃん学会理事長 小西行郎先生の講義を聴く機会に恵まれました。「赤ちゃんの触る」ということについてです。お話しは、触覚とは「触る」感覚か、「触られる」感覚かという問いからはじまりました。最近の研究から「触る」と言うことが重要視されてきているにもかかわらず、赤ちゃん「が」触る機会が減ってきていないか気になるとおっしゃっていました。

赤ちゃんがお母さんのおなかの中にいるときから動いていることはよく知られていることですが、なぜ動くのでしょうか。「動く」ことによって「触る」ことがおこり、この繰り返しが運動パターンを作っているそうです。そしてこのことに大切なのが、赤ちゃんが自発的に動く、自ら動くことなのです。おなかのなかの赤ちゃんを外から動かすことはできませんから自発的に動いているのですが・・・

「先ず動くこと」、そして「動く」ことが「触」るをもたらし、それが発達の基礎を形成するのだそうです。それは、何も赤ちゃんの時に限ることではなく、幼児になってもそのサイクルは基本的には変わらないようで、子どもの発達は「子どもが動く」ことからはじまるようです。ですから、保育においても、大人が大人目線で、大人の都合だけで計画を立て、それを子どもにやらせるのではなく、子どもの動きをしっかり見ることで、今この子に必要なことを読み取り、それに合わせて計画を立てるべきだということなのです。つまり、出発は「子どもから」なのです。そして、大切なのは子どもが自ら動き出すということなのです。

「今の保育は大人が「やってあげる」ことが多すぎるのが気になる。」と、先生はおっしゃっていました。

まずは子どもが自発的に動いているところを見て、その動きが続けられたり発展できるように、環境を整えること。目の前の子ども一人一人から出発して保育を考えるという意味でも「子ども主体」の保育が大切だということがわかります。

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