園長ブログ

寒い朝

2013/02/17

今朝はとっても冷え込みました。気温は氷点下5度。天気予報が冷え込むといっていたので、大雪かなと思っていたのですが、積雪量はそれほどでもありません。ただしうっすらと積もった雪のしたはしっかりと凍結していました。積雪量がそれほどでもないので、雪かきは必要ないかと思っていたのですが、お寺の職員さんが朝早くから雪かきをしてくださっていたので、私も手伝うことにしました。お寺の職員さんは雪が降ると、暗いうちから雪かきをしてくださっているので、子どもたちの登園時間には、子どもたちも、車で送ってこられる保護者も安心です。ありがたいことです。

今日は日曜なので、園はお休みですが、少し時間があったので薄く積もった雪を箒で掃くことにしました。雪を掃くと氷が顔を出すので、かえって危ないかなと思いつつも、太陽が出たときに色い雪がない方が、融けやすいだろうとおもって、掃いてみました。手足はとても冷たいのですが、しばらくすると汗ばむくらいになってきてとても気持ちが良いものです。

ふと顔を上げると、山の端から太陽が昇ってきて金色の光で辺りが満たされています。すると、あちこちで木の枝に積もった雪がさらさらと落ち始めます。細かな雪の粒が朝日にきらきらと輝きながら、ゆっくりと下りてゆく姿はとても美しく、しばらく見とれてしまいました。気温は低いのに、日の光の暖かさと枝から落ちる雪に改めて驚きました。

自然の姿は、ひとときとして同じではなく本当に美しいものです。もちろん美しいだけではなく、どうしようもなく厳しいこともあります。その両方を知ったうえで、もう少し私たちの生活が自然に近づくと良いのかもしれません。

話し合う

2013/02/16

5歳児たちがお別れ会で何を披露するのか話し合っていました。アイデアはいろいろでるのですが、話が脱線したり、いろいろな子がいろいろなことを言って、もめたりしてなかなか前に進みません。話しが混乱するたびに「Kくんを中心に!」って先生も言ってたし、みんなもそう決めたんだから、Kくんのはなしを聞こう。ということを何度か口にしていました。担任がファシリテーターを誰かにしてもらった方が良いと判断して、Kくんがファシリテーターになったようでした。Kくんは、どんどん話してみんなをまとめようとは全くしません。どちらかというとほとんど話さない感じです。ところが、話が進まなくなって「Kくんどうなん」とみんなから半ば詰め寄られると、ようやく口を開いて、「Aちゃんのいうこともそうやと思うな」とあまり声の大きくない人の意見をとりあげ、みんながいろいろな意見に耳を傾けるような発言をしていました。

みんな、結構激しい口調で議論しています。それだけ真剣なのだと思います。ついつい声が大きくなったり、きつい言い方になってしまったときに、Kくんが十分な間を取ったあと穏やかな声で発言すると、その場の雰囲気が一気に落ち着きます。なんてすばらしいファシリテーションなのだろうと思いながら、聞いていました。

Kくんだけではありません。興奮気味の子を落ち着かせたり、どんどん斬新ななイデアを出したり、場の雰囲気を盛り上げたり、子どもによって様々です。それぞれに得意なところを持っているのです。

子どもたちの話し会いは少し聞いただけでは、全くまとまらなさそうな話をしているのですが、よくよく聞いていると不思議に前進しているのです。

そして、ついにみんなでコマを回して見せようということに落ち着きそうになりました。もちろん全員が諸手を挙げて賛成し、全会一致でコマ回しになったわけではありません。

コマを回すのに自信のないYくんが渋っていました。「もう、みんなで決めたのだから、コマ回しにしようよ!」と半ば強引に説き伏せようとする子。「コマ回しのどこがいやなの?」と理由を聞く子。「コマ回しが嫌ならほかのことにする?」と話しを振り出しに戻そうとする子。「多数決で決めたら良いやん」と決めたがる子。そんななかでKくんは「Yくんが嫌だといっているのだから、Yくんの話しをよく聞いた方が良いと思う。」と発言しみんなで、じっくりYくんの話しを聞くことにしたようでした。

自分の意見を聞いてもらったYくん、気分がスッキリしたのか、いつの間にかコマ回しで納得ようでした。

それにしても子どもたちの力にはおどろかせられます。ことばはたどたどしいのですが、何か本質的なものをおさえて話し合っているように思えてなりません。

相談

2013/02/15

今朝は7時頃から急に雪が降り出して11時頃まで降り続きました。辺りはすっかり雪化粧です。まだまだ2月なので雪も降るでしょう。今週末も寒くなりそうです。

体調を崩したり、回復してからもなかなか本調子になれないまま、バタバタしていたら園に仕事が山のようにたまってしまい、ちょっと腰を落ち着けて片付けるべく昨日はデスクにかじりついていました。

朝の会が終わった頃、5歳児たちが集まって来てなにやら相談を始めたようです。しばらく離れていたデスクにもどると、活発に話し合う声が聞こえてきました。

事務仕事をしながら聞くともなしに聞こえてくる子どもたちの話題は、お別れ会で行う出し物についてのようです。卒園を控えた5歳児たちと楽しむ「お別れ会」を毎年行っていますが、どんなことをするのかをみんなで話し合って決めようとしていたのです。

担任はどうしたのかと思えば、少し離れたところで、自分の仕事をするふりをしながら、子どもたちを見守っている様子だったので、子どもたちに全て任せていたのだと思います。

5歳児みんなで、歌を歌うのか、なわとびを披露するのか、野球をするのか、いろいろなアイデアが出てきますが、誰かが何かを言うたびに話が脱線していました。誰かが野球というと、「オレの剛速球は誰も打てヘンからなー」「休みの日はお父さんとキャッチボールをしてるんやで」「キャッチボールって難しいんやで!できるん?」などと話しがどんどあらぬ方向に行ってしまいます。そうすると必ず、「今その話ししてるのと違うやん!」と軌道修正をする子が出てきます。

そうかと思えば、「なわとびがいい人、手をあげて!はーい!」と採決を取ってまとめようとする子、全く関係のない話題を突然持ち出してくる子、ほとんど口を開かない子、たまにボソッとおもしろいことをいう子、本当に様々です。

「大人でもこんな人っているよなー」と思いながらついつい聞き入ってしまうと、事務仕事が全く進まなくなってしまいました。

実験

2013/02/14

   土が削られてゆきます

以前、学童保育に来ている子どもたち3〜4人が園庭で遊んでいました。やかんでせっせと水を運んでは、築山の上からどんどん流しています。水は山の頂上付近から川となって土を削りながら流れてゆきます。何度も何度も流すものですから、流水は土を削り最初は浅かった川はあっという間に切り立った渓谷のように姿を変え、土を下流に運んでいます。子どもたちが水を流すたびに、川は姿を変え水の流れ方は変わります。低学年の子どもたちは、水が流れる様子がおもしろかったのか、目をキラキラ輝かせながら、せっせと水を運んでは流します。6年生も楽しそうにはしていたのですが、小さい子たちと遊んであげているという感じではありました。

畑を見に行こうとして通りかかったら、なんだ楽しそうなので、土がどんどん削れてゆく子どもたちと一緒に楽しんでいました。

6年生に「これが侵食やなー!?」というと「えっ?」というので、「理科で習わへんかったか?」と聞くとキョトントしていたので、「山に雨が降った雨が集まって、小さな流れになり、小川から谷、そして川へとなって流れてゆく、流れるときに土を削るので、山が形を変えるって習わへんかったか?」と再度聞くと、もう一度水の流れる様子を見て「ホンマや!ホンマや!流れが山を削っている!侵食や!削られた土が流されてる。」と少し興奮しながら「理科でやったわ。」と言っていました。どうやらこの子の中で、学校の理科で勉強したことと、目の前で起こっていることがつながったようでした。

私も、土が深く深く削り取られてゆくのがおもしろくて見入っていたら、「あっ!扇状地ができてる。」というので、目線の先を見てみると、山裾から少し離れた流れが弱くなる部分に、流された土が少しずつたまっているではありませんか。「こういうの堆積って言うんやったなー」と嬉しそうです。侵食・運搬・堆積と河川のはたらきを習ったのを思い出していたのかもしれません。

現実の遊びのなかで自分の知識が確かめることができるのって、ステキだなと思いました。

柿の木 3

2013/02/13

  

ようやく畑から外に出した柿の木を今度は園庭の高さまでロープでつり下げて下ろします。これはあっというまに完了。新しく植えるところまで移動しました。

柿の木を掘り起こすまでに、新しく植える場所には1人の方が大きな穴を掘ってくださっていました。柿が無事に落ち着いて根を張り安定した頃に栄養たっぷりの腐葉土に根が届くようにという配慮から、穴の底の方に腐葉土を敷き詰め、その上からは、また一定の厚みで園庭の土を入れてから柿の木を植えるという手間な方法をとってくださいました。腐葉土には天然肥料も少し混ぜるという念の入れようです。

そうして準備した土の中に、ビニールシートを外した根をそっと下ろして土をかけ、幹が安定するように配慮し、なおかつ根があまり深く埋まってしまわないように高さを調整してくださいました。あとは幹の周りに土を盛って水鉢を作り、根が切られて水をあげる能力の落ちた根を助ける配慮もして下しました。

  


それで、完成かと思ったら、植え替えたあとは幹が直射日光をたくさん浴びると良くないとのことで、わらを使って幹を覆ってくださいました。年配の職員さんが器用に幹をわらで巻き、わらを2~3本とってくるくると結んでゆかれます。わらをいつも生活の中で使っていらっしゃるのだろうということが見てとます。そうやって止めしたあとは、縄を使ってキュッ!キュッ!と男結びで止めてゆかれる手際の良さに感心していました。

そうして、幹を藁で巻いてもらった2本の柿の木の植え替えが無事に完了しました。

新天地で元気に根を張り、すくすくと育ってくれることを祈らずにはいられません。毎日子どもたちと「元気に育ってね」と声をかけてゆきたいと思います。
     

  

それにしても、寒い風が吹きすぎるなか、丁寧に作業をしていただいたみなさんには感謝の気持ちでいっぱいです。一つのことに情熱を傾けて全力で取り組むまさに「一所懸命」な姿勢に学ぶところは多かったと思います。

ありがとうございました。

柿の木 2

2013/02/12

  まずは、根を掘り起こします朝から日差しがたっぷり降りそそいでいた割には空気は冷たい一日でした。でも光は少しずつ春めいてきているようです。夕方からはまたまた雪が降り出し、明朝にかけて雪の予報が出ています。

寒のあいだに柿の木を植え替えようと思っていたら、立春を過ぎてしまいました。私は、元のところから掘り出して新しい場所に植えれば良いと簡単に考えていたのですが、そんなに簡単ではないようです。お寺の方にお願いしていたら、みなさん園芸書などを読んで詳しく調べてくださったようです。そうしたら、調べれば調べるほど柿の植え替えはかなり難しそうだということがわかってきたそうです。

土が落ちないようにシートを巻きます

年配の方もいらっしゃるのですが皆さんの探求心には脱帽です。

まず掘り出すに当たっては、できるだけ根と周りについた土を残すために周りから大きく掘り進み、ある程度掘ったところで根の下の方を水平に掘り、地中深く張っている根を何本か切って土をついたままの根をビニールシートで巻いて土が落ちないようにします。ここまで約1時間くらいかかったと思います。私も手伝おうと思いましたが、しばらく寝込んでたおかげで全く身体が動きません。悪あがきはせず皆さんに任せることにしました。
           

狭い出入り口から何とか外に出ました

ここからが難関です。昨年少し小さくしたとは言え、左右に張った枝を狭い出入り口から出さなくてはなりません。根にはたくさん土がついているのでとても重いのです。シートで巻いた根の幅だけでも出入り口の幅いっぱいです。何とか左右に振ったり、回したりかたむけたりしながら、狭い出入り口を通すのはまるで知恵の輪を解くようでした。

そうして午前中いっぱいかけて、1本目を掘り出して畑の外へ引っ張り出しました。

柿の木 1

2013/02/11

冬型の気圧配置が強まって、風が強く朝から雪が水平に降っています。ようやく体調も回復して何とか動けるようになりました。しばらく寝込みましたが、身体を休めることができましたし、自分を見つめる機会にもなりました。いろいろ迷惑をかけてしまった方々には申し訳ありませんが、休養の時間をいただきました。ありがとうございました。

当園の園庭のすぐ近くに、畑があります。もう10年くらいになるでしょうか、山が崩れるのを防ぐために、石垣を積んでいただいたので、園庭もひろがり、その一段上に畑もできました。いろいろと栽培したりしていたのですが、6〜7年前からシカ、イノシシ、サルなどに作物を食べられることが多くなり、仕方なくネットでおおいました。最初の頃にキンカン、イチジク、柿など果樹を畑に植えていたのですが、なかなかうまくゆかず、枯れてしまったものもありました。

そんななか、元気に育って今も残っているのが、キンカンと2本の柿の木です。2年ほど前に柿の木が初めて実をつけたので、これから毎年柿が食べられるかなと期待していたら、柿の木が大きくなりすぎて気がついたときには、そのままでは畑の外に出すことができないくらいの大きさに育っていたのでした。そのまま畑のなかで育てようかとも思いましたが、それはとても無理です。

何とか外に出さなくてはと、柿の木引っ越し計画がスタートしました。実は昨冬に植え替えつつもりだったのですが、一度に動かすと負担が大きいのではないかということになり、昨冬は大きな枝を切り、横に広がった根も地中で一定の長さに切りそろえておいたのです。

そして、今冬を待って植え替えなのですが、うっかりそのことを忘れてしまっていたのです。本来であれば、もう少し早い時期に植え替えるべきところが、今頃になってしまいました。もちろん、私がひとりでできるわけもなく、お寺の方々にお願いしました。

落ち着きのない遺伝子 4

2013/02/10

我々の祖先が約7万年前にアフリカを出て、5万年で全世界に広がったのは、その先頭集団には「落ち着きのない遺伝子」の要素を多く持った人たちがおおく集まったというより、そういう遺伝子が選択されやすかったともいえそうです。また、遺伝子と文化の相互作用についても次のように述べられています。「遺伝子と文化の相互作用は、人間の複雑な行動の随所に見ることができる。人類が石を使って固い木の実を割った瞬間、文化が芽生えた。そして手先の器用さを高め、想像力を活発にする遺伝子が優先的に選ばれた結果、人類はますます手先が器用に、想像力がたくましくなっていった。」

私たち人類は、世界中に広がっていますし、宇宙や深海などにも探求心をむけ、様々な未知の分野にも挑戦し続けています。

ここから先は全く私の思い込みなのですが、最近、「気になる子」ということばがよく使われ、集団で保育をしようとする大人にとって気になる子、発達障害という名前がつけられることも多いのですが、コミュニケーションが苦手、じっとしていないで動き回る。こだわりが強いといった特徴を持つ子が増えているといわれています。

大人が一斉に保育しようとする今までの価値観から見れば、「気になる子」なのかもしれませんが、よく動き回るという特徴は「落ち着きのない遺伝子」の性質をより多く持ち合わせた探求者のたまごなのかもしれませんし、その他の性質のなかにもこれから先、人類にとって必要になってくるものが含まれているのかもしれません。先が見えず、行き詰まってきている時代を新たな方向へ導くための探求者、冒険者、フロンティアの役割を持って生まれてきているのかもしれないとも考えられるのではないでしょうか。

今までの価値観にとらわれずに、異なった視点から見てみることも必要だと思います。

「落ち着きのない遺伝子」という記事を読んでそんなことを思ったのでした。

*次の記事を参考にさせていただきました
『ナショナルジオグラフィック』2013年1月号P60〜P73「落ち着きのない遺伝子」デビッド・ドブス

落ち着きのない遺伝子 3

2013/02/09

子どもの時に探求心を思いっきり発揮して、様々なことに関心を持ち、挑戦しては失敗し、また方法を変えて挑戦する。一人で挑戦する時もあるでしょうが、仲間と相談したり意見を交わし合ったりして行う。そういう経験をたくさんできる機会を持つことが乳幼児期にとても大切です。この探求心をしっかりと満たすことが次の探求心へとつながり、未来を切り開いてゆく力になるのだと思います。

しかし、探求心は持ちなさいといわれて持てるものではありません。「これ、どうなってるんだろう?」「どうしたらできるだろう?」と子ども自らが思うこと、ことばを変えれば、子どもが自ら世界を知ろうとする意欲こそが大切なのです。どの子も探求心を持ち、世界を自分なりに理解しようとします。時にはそれがいたずらに見えたり、大人にとって不都合なことだってあります。それを、大人の価値観だけで、押さえつけてしまうと、せっかく伸びようとしている力が伸びなくなってしまいます。もちろん、何をしても良いというわけではありませんが、子どもを、探求心を大いに発揮しようとしているひとりの冒険家として見てあげる余裕も私たち大人には必要なのではないでしょうか。

小学校では、子どもたちの「生きる力」をはぐくむことを目的に新しい学習指導要領が平成23年度から全面的に実施されています。文部科学省は、「生きる力」とは、変化の激しいこれからの社会を生きるために、 確かな学力(知)、豊かな人間性(徳)、健康・体力(体)を バランスよく育てることが大切だとして、
○基礎的な知識・技能を習得し、それらを活用して、自ら考え、判断し、 表現することにより、さまざまな問題に積極的に対応し、解決する力
○自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や 感動する心などの豊かな人間性
○たくましく生きるための健康や体力 など
と定義しています。

ここで言われる知・徳・体は、乳幼児期に探求心を存分に発揮して、仲間と共に挑戦することをとおしてこそ、その基礎を築くことができるのだと思います。

何とかしてこの山に登りたい。という意欲があって初めて、山に登るという問題を解決するために、何とかしようと自分の持っている知識技能を総動員して自ら考え、判断し、表現する。そして、仲間と共に取り組むことで、自分の意見を表すこと、自らを律すること、仲間と力を合わせること、思いやりや感動を経験します。頂上を目指すためには体力も必要でしょうし、何度も挑戦するうちに、体力もついてくるかもしれません。

最初にあるのは、山に登りたいという探求心です。だからこそ、探求心を思いっきり満たすことのできる環境を乳幼児期に用意しておきたいのです。

落ち着きのない遺伝子 2

2013/02/08

このあいだからの暖かさから打って変わって、朝から雪が真横に降っています。京都の予想最高気温は3度。この時期らしい寒さともいえます。換気のために開けておいた窓から雪が舞い込んで積もっていました。

「落ち着きのない遺伝子」があるのか?という問いに対しては、ドーパミンD4受容体遺伝子のDRD4-7Rという遺伝子が、好奇心や落ち着きのなさと関連しているとして取り上げられることがあるそうです。しかし、一つの遺伝子や遺伝子群だけで説明できるような単純なものではなく、異なる遺伝子群に由来する形質のなかに、探求に関する複数の性質が含まれているとするのが妥当なようです。

探求心といえば、子どもです。「人間には想像力を伸ばす重要な特徴がもう一つある。それは長い子ども時代だ。」と「落ち着きのない遺伝子」を書いたデビッド・ドブス氏は言います。

人間はチンパンジーやゴリラなどほかの霊長類と比べて離乳が早いことが知られています。離乳は早いのですが、離乳してもすぐに自分で食事を取ることはできず、離乳食を与えられることにはじまり、母親以外の様々な人にも守られ、安全で長い子ども期を過ごします。この長い子ども期は人類の特徴です。そしてこの長い子ども期にする一番大切なことといえば「遊び」です。

もちろん「遊び」はほかの動物にも見られます。それは狩りをするなど生きてゆく上で必要な技能の習得ということがあります。もちろん人間にも、様々な運動機能の獲得としての遊びがあります。しかし、それ以外に、赤ちゃんが「これなんだろう?」と近づき、手で触り口で確かめてみる。時には放り投げたりぶつけたりするような、未知のものへの探求心からはじまる遊びがあります。もう少し年齢が上がると、どうすれば積み木を高く積み上げることができるだろう?うまくセミを捕まえることができるだろう?という探求心に基づき、自分でいろいろと仮説を立てて試すような遊びを多くするようになります。

「こうした遊びを繰り返しながら、子どもは様々な状況や可能性に挑む探求者の資質を育んでゆく」「探求に適した脳が形成され、認知機能が培われるのは子ども時代なのだ。そうした蓄積があり、注意を払えば、大人になってからも新たな挑戦の可能性を見いだせる。」「そして、探求者は失敗を恐れず目の前の可能性に賭ける。」(ナショナルジオグラフィック2013年1月号70ページ)とあります。

子どもたちに冒険家になってほしいというのではありません。世界の不思議に驚き、様々なことを知りたい、やってみたいと挑戦してゆく探求心が最も育つ乳幼児期に育てるべきところをしっかりと育ててほしいだけです。ひとり一人が、好きな仲間と探求心を思う存分満たすことができるような環境を整えたいものです。全てを満たすことが無理だとしても、大人の都合で子どもたちの探求心をつぶしてしまうようなことだけは、してはならないと思います。

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