園長ブログ

いろいろな人

2013/11/24

鞍馬小学校で認知症について知るための小学生向けのプログラムを小学生と地域の方々と一緒に体験しました。このプログラムを通して考えたことは、子どもたちが、いろいろな人がいるということを知ってくれると良いということです。人はひとり一人違うということ、それがあたりまえで、それを理解し認めることが大切なのだと子どもたちが思ってくれればうれしいという思いを持ちました。

教材の映像では、部屋の中にはおばあちゃんひとりしかいないのに、お客さんにお茶を持ってきてというおばあちゃん、もういないおじいちゃんの病院に行くというおばあちゃんの姿が出てきました。それに対して何か変だなという疑問を子どもが持つのはとても自然なことでしょう。ですが、それもおばあちゃん自身だし、認知症という脳の病気で、忘れたり、わからなくなってしまっていることが多いのだ。そうではないいままでのおばあちゃんもいるのだから、そこを大切にして、おばあちゃんが困っていたら、困っているところを助けてあげられたらいいな。くらいに思ってくれると良いと思います。

なにも、違いは認知症だけではありません。年齢や性別、しょうがいの有無、健康かそうでないか、違いはいろいろあると思います。そのことを理解し、受けとめることを子どもたちには学んでほしいというより、皮膚感覚として感じていてほしいと思います。そのためには、いろいろな人が身近にいるという環境が大切です。ひとり一人違うひとり一人をお互いに認め合い活かし合うことを心地よいと感じてほしいと思います。もちろんそのためには私たち大人がモデルになれるようにしたいものです。

みんな違うとわかってはいても、どうしても、他の人も自分と同じように考えるのだろう、そう考えるはず、と思ってしまいがちです。それはいろいろなことを自分という物差しだけで計ってしまうのでしょうがないのかもしれませんが、自分とは違う相手のことをどれだけ受けとめられるか、ことばを変えれば、どれだか相手の立場に立って考える、相手にどれだけ寄り添う事ができるかということが大切になってくるのかと思います。

子どもたちの心に何か少しでも届いたでしょうか・・・

小学生と学ぶ

2013/11/23

先日、鞍馬小学校で学芸会が行われました。小規模校で児童数が少ないので、劇では子どもたちはひとり何役もしていました。少人数なので、学年の枠を超えた取り組みもあり、子どもたちは自然にそれぞれの役割を果たしていたように感じました。当園の5歳児たちも小学生から招待状を頂き、小学校を訪れました。見学だけではなく、出演してほしいという依頼だったので、何を発表しようかと、みんなで話し合った結果、運動会で踊ったダンスを踊りたいという意見が多く、そうなったそようです。舞台の上に上がった5歳児たちはとても堂々としていて、動きも大きく、力強く踊っていました。踊りたくてしょうがい、みんなに見ててもらいたいという思いが強かったのだと思います。
園児も小学生もそれぞれに力を発揮した学芸会が拍手に包まれて終わり、園児達は園に帰りましたが、私は小学校に残りました。鞍馬学区社会福祉協議会の主宰で、小学校の学芸会を鑑賞して、昼食をいただく行事があり、そのお手伝いのためです。例年、学芸会を鑑賞して下さった地域の高齢者の方に昼食を召し上がっていただき、小学生と交流したり、体操をしたり、健康講話を聞いたりといった内容で行われています。

昨年は、昼食後に小学生や先生方を交えてみんなでいろいろな遊びを楽しみましたが、今年は、この時間を使って小学生と一緒にみんなで認知症について学ぶ機会をもってみることになりました。市原地域包括支援センターさんにお願いして、小学生向けのプログラムを行っていただき、まず紙芝居形式の映像を見ました。主人公の小学生が、おばあちゃんの不思議な言動に疑問をもつことで、認知症ということを知り、「おばあちゃんにはできないこともあるけれども、できないことはぼくが手伝ってあげよう。だって、大好きなおばあちゃんは、おばあちゃんだもの。」と大好きなおばあちゃんは大好きなおばちゃんのままなのだから、おばあちゃんができなくなったところは自分がサポートしてあげようと考えるようになったという内容でした。

この映像を見て、小学生達は何を感じたでしょう。

理解し認める

2013/11/22

認知症について研究が進み、いろいろなことがわかってきています。アルツハイマー病については症状の進行を遅らせる薬も開発されています。それでも、まわりの人のサポートは当然必要になってきます。地域包括支援センターの方が「認知症は脳の病気です。」とおっしゃっていました。風邪をひくとか、おなかが痛くなるのと同じことなのだと思います。ただ、覚えていられない、忘れてしまうということなのでしょう。ですから、認知症の人は、「何もわからない」「全てわからなくなった」のではなくて、忘れてしまうことがあるということなのです。

本人はそのことによって強い不安に襲われたり、自信をなくしてしまうことがあります。ですから、まわりの人が、認知症についての理解を深め、できないところ、苦手なところを上手にサポートしてあげることが大切です。失敗するからといって叱りつけたりすると、ますます自信をなくしたり、うつになるなど、症状が悪化することもあります。失敗はするけれどもできる事もあるのだから「大丈夫だよ」とわかってあげて、認知症ごとその人を受けとめてあげることで、症状の進行を遅らせたり、緩和することができるそうです。

このことって、認知症に限らず、誰にでも同じことがいえるのではないでしょうか。子どもだって、いつも叱られてばかりいたら、自己肯定感は育たないし、自信も持てず、自ら考えたり、積極的にものごとに取り組んだりすることはしなくなってしまいます。大人に「教えてあげなくては」、「子どもをきちっとしつけないといけない」という思いが強くてついつい、大人の思うように子どもにやらせよう、子どもを動かそうとして、指示ばかりしたり、否定的なことばがけが多くなったりしてしまうことがあります。気をつけないと、せっかく子どもが育つようにと思ってしていることが、反対に子どもの負担となり、発達を妨げることになることがあります。子どものやりたいこと(発達)を理解し、思う存分できるよう保障してあげることが子どもの満足につながり、その満たされた気持ちが、自信や自己肯定感を育み、他の人も認める基礎となり、未来を切り開く力をつけることにつながってゆくのです。

講演会で認知症の話を聞いていたら、そんなことが連想されました。

忘れてしまう

2013/11/21

このところ、認知症について学ぶ機会が何度かありました。まずは、当園が学童保育を行っているめぐみ精舎、このめぐみ精舎主宰の講演会「お話しの会」が毎月18日に行われています。10月の講演会には市原地域包括支援センターの皆さんが来て下さって認知症についてわかりやすくお話しして下さいました。認知症ってことばは知っているけれども、詳しくはわからない。という方も多いのではないでしょうか。私も何かの機会に話を聞いていましたが、詳しいことはわかりにくいままでした。

最初に、何年か前に放送されたNHKの番組を鑑賞しました。若年性認知症になってしまった男性と男性を支える妻の生活を描きながら、男性本人が自分自身について語るという内容です。男性は、さっき聞いたことが思い出せない、だから今日の予定は紙に書いて何度も読み返す。出かけると帰り道がわからなくなるので、ひとりでは出かけないようにしているといったことに気をつけているそうです。

今聞いたことが覚えていられない、出かけて家に帰ろうと思っても帰り道が思い出せない。それってどんな感覚なんだろうと思います。

覚えていられない、忘れてしまうという自分がいるということをしっかりと認識はしているのだけれど、やっぱり忘れてしまう。そんな自分の状態を受け入れるのは辛いことなのではないかと思います。「なぜ、自分は覚えていられないんだろう?そんなはずはないのに!」という感覚というのか、そんな自分自身を受け入れ認める。その心のハードルを越えるのは大変なことなのだろうと思います。

番組の最後のシーンでは、その男性が、自分自身の今の状態や今までの体験を大勢の人の前で演壇に立って語っていらっしゃいました。これまで大きな葛藤や苦しみがあったのだろうと想像しましたが、淡々と語られるその姿に心を動かされました。最後にその方は、自分が今こうしていられるのは、妻のおかけです。心からありがとうと言いたいと締めくくっていらっしゃいました。そのことばを聞いて、胸が熱くなりました。

十日夜

2013/11/20

先日、仕事が終わって園を出たら、すっかり暗くなっていました。日がずいぶん短くなったものです。それもそのはず、立冬のも終わりに近くなり、もうすぐ小雪です。

今年は秋になっても暖かい日が長く続いたので、季節が進んでいる感じがしませんでしたが、カレンダーは11月も下旬となってしまいました。このところ急に冷え込んできて、最低気温は5度を下回ることもあり、突然冬がやってきたようです。                          

朝晩の冷え込みが厳しくなって、日中との温度差が大きくなり、木々が美しく色づき始めました。桜の葉も今年はきれいな色になり、散歩に出た子どもたちが拾っていました。もちろん、もみじもとても美しくなっています。ピークを過ぎた木もありますが、全体的には今が一番美しいのではないでしょうか。紅葉の美しさを求めていらっしゃる人たちで、鞍馬は賑やかです。

暗くなった道を歩いていると、山の稜線から大きなお月さまが昇ったところでした。とても美しい満月だったので、しばらく立ち止まって見ていました。月を見ているうちに、十五夜、十三夜のことを思い出しました。前にも書きましたが、十五夜は旧暦の8月15日の「中秋の名月」、十三夜は旧暦の9月13日の月で「後の月」とも呼びます。そして、旧暦の10月10日(今年は11月12日)は十日夜(とおかんや)といって、この夜に月を見てその年の収獲の終わりとされたそうで「三の月」ともよぶそうです。田んぼの神様が山へ帰る日として、その年の収穫に感謝する行事を行う地方もあるそうです。旧暦は太陽太陰暦なので、今よりも月が生活に密接に関わっていたのだと思います。

田の神様が山へ帰る日を「亥の子」といって亥の月(旧暦10月)の最初の亥の日(今年は、旧暦10月3日、新暦では11月5日)亥の子餅を作って食べ、万病除去・子孫繁栄を祈るといった行事を行うところもあるそうです。もともと中国の風習だったのが日本に伝わり、宮中で行われていた行事だそうです。そういえば、茶道の炉開きの時にはお菓子の代わりにおぜんざいを頂くのですが、亥の子餅も使います。

昔から日本人は自然の移り変わりに寄り添って生活してきました。ある意味そうせざるを得なかったのかもしれません。今はそういった意識が少なくなってきているかもしれません。自分の周りの自然の変化に心を運び、伝統的な行事についても考えてみたいと思います。

恐竜博物館 8

2013/11/19

思ったより固くて、なかなか割れません

発掘体験会場では、1億2千万年前の石をタガネとハンマーで割って化石を探すのだと説明をうけました。1億2千万年前の石ときくと不思議な気がします。道具を受け取ってフィールドへ。石がゴロゴロしているので、片っ端から割ろうとしますが、固いので、かなり力を入れなくてはなりません。石の目であったり、どこを叩くと割れるのか、コツのようなものがあるのかもしれませんが、なかなか難しいものです。ようやく割れても、その断面に化石があるのか無いのか簡単にわかるわけではありません。係の人に聞いてみると、植物の化石は炭化して黒くなっている所だと教えて下さいましたが、なかなか見分けられません。光を当てるとキラキラ光るとも教えてくださいました。貝などはそれらしい形をしているかどうかも見分けるポイントになるということですが、これも難しいと思いました。子どもは最初はなかなか割ることができませんでしたが、少しずつ割れるようになって来たのが楽しかったらしく、一所懸命取り組んでいました。化石が出てこないかと思いながら、石を割っていたらあっという間に1時間が過ぎてしまいました。列車を遅らせてもやる価値はあったと思います。

まん中の黒い部分が植物の化石だとか


それにしても、恐竜博物館の人気はすごいものです。午後3時頃でも博物館に来場するための車が渋滞していましたし、午後5時閉館のはずなのに、4時ごろにも入館する人がたくさんいました。恐竜、恐竜化石をメインテーマとした、ジオパークというコンセプトでのまちづくりは、多くの人が興味関心を持つものなのでしょう。私は恐竜博物館しか知りませんが、質の高い展示は魅力的ですし、また行ってみたいと思いました。コンセプトとそれを高いレベルで具体化する取り組みは人を魅了するのだと思います。

恐竜博物館 7

2013/11/18

1億数千万年前の地層からみつかった様々な化石のなかに恐竜の化石もありました。
最初に見つかったのは小型肉食恐竜の歯だったそうです。恐竜博物館には、「福井の恐竜」コーナーがあり、福井で見つかった恐竜に関する研究成果が展示されていました。

カルノサウルス類と考えられる肉食恐竜、フクイラプトル(フクイラプトル・キタダニエンシス)、イグアノドン類の草食恐竜、フクイサウルス(フクイサウルス・テトリエンシス)、日本で最初に学名がつけられた竜脚類、フクイティタン(フクイティタン・ニッポネンシス)、日本で最初に学名がつけられた竜脚類、ドロマエオサウルス類など、学名が付けられた3種を含む6種類の恐竜の存在が明らかになったとありました。

1億年も前というと、その時間の長ささえ想像できませんし、恐竜のような生き物がいたこと自体がどこか不思議な感じがします。恐竜の化石の発掘というと、どこか遠い国での話のように感じられて、こんなに近くに発掘現場があってたくさんの化石が見つかっているのがどこか不思議です。

恐竜博物館の一帯は、かつやま恐竜の森という公園になっていて、様々な施設があることは既に書きましたが、そのひとつに「どきどき恐竜発掘ランド」というのがあります。ここでは化石発掘体験ができるのです。実際の発掘現場から運んでいた石をタガネとハンマーで割って化石を探すという体験です。どこで知ったのか、子どもがこれを体験したいと言っていたので、事前に調べたら、予約が必要で、その時点で予約はいっぱいになっていたので諦めていました。当日、会場に行ってみると、大人用の体験時間枠が追加で設けられていたので、帰りの列車の予約を変更して申し込みました。この時期を逃すと、冬期は雪のため来春まで化石発掘体験はできないのです。

恐竜博物館 6

2013/11/17

「生命の歴史」の展示は先に書いた生命のはじまりから詳しく解説されていましたが、後半は私の集中力が続かなくなってきました。充実した展示がたくさんあるので、じっくり見ようと思うと相当時間がかかります。また、日を改めて訪れてみたいと思いました。

勝山市はその全域をジオパークとして「恐竜、恐竜化石」をメインテーマ、「火山と火山活動」、「地質・地形遺産と人々のくらしとの関わり」をサブテーマに様々な取り組みを行っています。

ジオパークのジオ(geo)とは「地球」という意味で、地球学的に重要な自然遺産を中心に自然に親しむための公園で、その自然遺産を持つ地域が、自然遺産や様々な文化遺産を有機的に結びつけて保全や教育、ツーリズムに活かす取り組みを行っているところがジオパークといわれています。

勝山市では、昭和57年に勝山市北谷町で中生代白亜紀前期のワニの全身骨格化石が発見され、昭和63年に小型肉食恐竜の歯が発見されたことをきっかけに、平成1年から始まった恐竜化石発掘調査事業により、学術的に貴重な恐竜化石が数多く発見されています。

この恐竜の化石が発掘された手取層群は中生代(約2億5000万〜約6500万年前)のジュラ紀(約1億9960万年前〜約1億4550万年前)から白亜紀(1億4550万年前〜6550万年前)の地層です。この手取層群からは1億数千万年前に生きていた植物、淡水生貝類の化石などさまざまな化石が見つかりかっており、この一帯には古手取湖と言われた巨大な湖があったとされています。

勝山市北谷町杉山には恐竜化石発掘地があり、国内最大級の規模で、産出する恐竜化石の量も国内最大だそうです。日本国内で見つかった恐竜化石の8割はここで見つかっているそうです。現在は非公開となっているこの発掘現場もいずれ公開されるとタクシーの運転手さんがおっしゃっていました。公開されたら見に行ってみたいものです。

恐竜博物館 5

2013/11/16

地球上に酸素が増えることによって、それまでとは環境が大きく異なり、酸素を使わない生き物にとっては、生きにくい環境になってしまいました。一方で酸素を効率的に使う生き物も現れてきました。酸素から大きなエネルギーを得られる反面、強い酸化作用も持ちます。活性酸素が細胞を傷つけてしまうとも言われています。

環境が変わることで、生物にも変化があります。大きな変化の一つは、真核生物の誕生だと解説されていました。

真核生物がどうやって発生したかにはいろいろな説があるそうです。古細菌が原始真核細胞のもととなり、そこへいくつかの真正細菌が遺伝子を送り込み、今の真核生物の核内の遺伝子が作られたという考え方、古細菌と水素排出性細菌がいる環境で古細菌が水素排出性細菌を取り込むことで、物質を共有して代謝を行う共生系が成立、その代謝の経路を変化させて行く過程で、核とミトコンドリアが作られたという考え方です。

酸素が増えたことによって酸素を使わない嫌気性の生物(細菌)にとっては生存しにくい環境になってきましたが、一方で酸素をうまく使う好気性の菌が発生してきました。これらの好気性の細菌を取り込んだ嫌気性の細菌は、酸素をうまく使えるようになり、動物細胞の元になった。さらに、シアノバクテリアを取り込んだ細菌は植物細胞の元になった。と説明されていました。

また、取り込まれた好気性の細菌はミトコンドリアとなって現在でも酸素呼吸の役割を担っているそうです。

詳しいことはまだまだわかっていないのかもしれませんが、細胞のでき方を見ても私たちの体を構成する細胞ひとつひとつの中に、生命進化の記憶が存在していることを改めて知りました。

恐竜博物館 4

2013/11/15

急ぎ足で見ても1時間かかった1階の展示、ジオラマを異なる高さから見られるように配置されたスロープを進み、ずらっと並べられた恐竜の全体骨格標本の上からの眺めを楽しみながら歩いているといつの間にか2階に来ていました。

2階は「生命の歴史」というテーマの展示です。46億年という地球の歴史の中で、生まれ、育まれてきた生命の歴史が紹介されています。

最も古い化石というのが、西オーストラリアのピルバラで発見された35億年前の地層から見つかった繊維状の微化石です。さらに南西グリーンランドのイスア地域で生物起源とみられる成分がみつかり、38億年から39億年前には生物がいたということが示されているそうです。このイスアで発見されたのはふつうの化石とは異なり、生物の形を残していません。「生物起源とみられる成分」というように、化学分析の結果から生物起源であると判断される化石で、このような化石を化学化石と呼ぶのだそうです。

38億年前には生物起源と思われる生物が存在していた。そして、生物としての形がわかる化石は、前出のピルバラで発見された微化石です。微化石というように、大きさはミクロン単位なので、顕微鏡で探すしかありません。石を顕微鏡で調べてミクロン単位の大きさの化石を探すなんて、どうやったらできるのだろうと不思議に思います。このような研究の成果で、35億年前には既に多様な生物がいた事が明らかになっているのです。

そして、27億年くらい前には、シアノバクテリアが現れました。シアノバクテリアは、無尽蔵ともいえる海水中の水素を利用して光合成を行う事ができたことと、様々な環境に適応しやすかったので大繁殖しました。そして、シアノバクテリアが副産物として作る酸素が海水中の鉄を酸化沈殿させ、大気中の酸素濃度を高めたことで、地球環境は大きく変化しました。この酸素濃度の上昇という環境変化が酸素を使って大きなエネルギーを得ることのできる生物が誕生するきっかけとなるなど、その後の生物の進化に大きな影響を与えているようです。生命と環境とが互いに影響しあいながら現在の地球環境は形成されていったことがわかります。

地球上に生命が発生した頃のことは想像すらできませんが、このような研究成果が紹介されていたのを見て、今、私たちがここにこうして生きていることには、想像できないくらい遠い昔にその原因があるのだということを、再認識しました。

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