園長ブログ

信じて見守る(味噌)

2014/01/13

秋頃から気になっていることがありました。それは、去年の3月に作った味噌がどうなっているかということです。味噌を仕込んだことは、このブログでも紹介しましたが、それからずっと寝かせていたのです。寝かせているあいだに味噌は熟成されてゆきます。期間は半年、10カ月、1年などいろいろな説がありますが、じっくり1年くらい寝かせようと思っていたので、気になりながらもそのままにしていました。途中で何度も味噌の様子を見てみたいと思いましたが、じっと我慢して寝かせていたのです。

熟成むらをなくすために、途中で天地返しといって、味噌をかき混ぜる方法もあるようですが、素材の力を信じてそのまま寝かせる方法をとりました。うまく熟成が進んでいたら途中で手を出して邪魔をしても、がんばって働いている大豆と麹と塩に申し訳ないような気がしたからです。10カ月から1年寝かせて、失敗していたらそれはそのときのことです。というと聞こえは良いのですが、実は少し面倒だったこともあります。

実際にはなにもしなかったのですが、いつも気にかけてはいましたし、ときどき瓶のふたを開けては、「がんばって働いてくれてありがとう。美味しくなってね。」と声をかけていました。

熟成している間に空気に触れるとカビが生えやすいので、密閉するために、ラップや布、和紙を使って、表面を覆うと良いといわれています。私は大きめのポリ袋に塩を入れて味噌の上に置き、ふたの代わりにしていました。その方法だと味噌の表面に少しくらいでこぼこがあっても塩がそのでこぼこに合わせてポリ袋を密着させてくれるので、空気が入りにくいのです。また、2〜3キログラムほどの塩を使えば、それが重しの代わりにもなります。ポリ袋が天然の素材ではないことが少し気になっていましたが、その方法が最適だと思ったのでやってみました。その塩の中蓋がふたの役割をしているので、瓶のふたは置いているだけで、瓶の蓋を開けてもポリ袋に入った塩しか見えません。中がどうなっているのかとっても気になりましたが、そこはじっと我慢。大豆と塩と麹の力を信じて見守る。(見えませんが…)でも気を放してしまうのでははなく、いつも気にかけ、声をかけていました。

そうやって、10ヶ月間寝かせた味噌をいよいよ取り出してみることにしました。

やってみる!

2014/01/12

とても傾いて倒れそうになっていた、玉杉大黒天の杉の木についてお伝えしてきました。今にも倒れそうなので、何とかしなくてはならないのですが、ご神木に鋸を入れることはどこか申し訳ない気がする。かといって傾きをもとに戻す手段はない。専門家の意見は伐採。自然に倒れるまで待つのか。いつ倒れるかわからないのにそんな危険なことはできない。何とか伐採せずに済まないものか。お寺の皆さんもずいぶんと頭を悩まされたようです。私もずっと気が重いままでした。何もできないので、前を通るたびに杉の木に触れて、できれば元通り元気になってください。それが無理なら、どうか一番良い方法を選んでください。と祈るくらいしかできませんでした。

しかし、結局は伐採することに決まり、実際に作業が始まったら途中からは木がまだ元気なので、全て切ってしまわなくても良いことがわかりました。結果的には木の上の方を切ったことによって先の方が軽くなり、傾いていた木が少し元に戻ったのでした。

みんながとても心配し、気をもんだ今回のことでしたが、いざ作業をしてみると、予想もしなかったような良い結果になりなした。どうしよう、どうしようと考えてばかりいても、何も始まりません。案ずるより産むが易し。とにかくは、まずやってみること!何かアクションを起こして初めて状況が変わり、いろいろなことが見えてきます。とにかくやってみる!それも最大限の力でやってみる。それで良くなかったら、その時に次にどうしようか考えれば良いのです。

玉杉大黒天が身をもってそんなことを教えてくださったように感じました。自分自身が克服しなくてはならない弱さを指摘し、励ましてくださったのだと思います。ありがとうございます。

復活

2014/01/11

伐木作業をしばらく見ていただけで、体がすっかり冷えてしまいました。作業をしていらっしゃる方は、さぞかし大変なことでしょう。4時近くなって、そろそろ作業が終わるかと思い、再度現場へ行ってみました。途中クレーン車のタイヤの跡があったので、作業は終わって、クレーンも帰ってしまったようでした。あれほど大きな木がそんなに早く切れたのかなと思いながら、玉杉さんに到着して見ると、作業は終了したようで、誰もいらっしゃいませんでした。早く終わったのだと思ってふと顔を上げると、ご神木が今まで通りその場所に立っていらっしゃるではありませんか。根元から数メートル残して伐採してしまったとばかり思っていたので、驚きました。見上げると、ずいぶん高いところから上はなくなっていましたが、ほとんど気にならないくらいの高さです。何度も見上げたり、少し後ろに下がって見たりしているうちに、何かが違うことに気付きました。よくよく見ると、今にも倒れそうなくらいに傾いていた幹の傾きが少し戻っているのです。もちろん完全に戻ったわけではないのですが、明らかに、目で見てわかるほどに傾きが少なくなっていました。驚きと喜びが一緒にやってきて、思わず手をあわせていました。

ちょうどそこに作業に当たっていたお寺の方が通りかかったので、話を聞いてみると、木を切り進めるうちに、幹から新しい枝が出て伸びている箇所があったそうです。新しい枝がでているということは、そこから下はまだまだ元気だということなので、伐木はそこまでとなったそうです。木を切って下さった方も、「こんな状態なのに、これほど元気な木は見たことがない。さすがご神木や!」といって驚いていらっしゃったと聞きました。

力強く復活した杉の木を見ていると、こちらまで力をいただけるような気がして、何だか心が晴れ晴れして、嬉しくなってきました。私は、勝手に「復活玉杉大黒天」と呼んでいます。

  ずいぶん傾いてしまいましたが…

上の方を切ったら傾きが少し戻りました

伐木

2014/01/10

12月29日、園はお正月休みに入ったので、少しゆっくりしようとも思いましたが、玉杉さん伐木の日だと思うと、気になって仕方なく、朝からどうなっているのか見に行ってみました。9時頃に行ったら、もう作業は始まっていて、クレーンの腕が杉の木の梢に向かって目一杯伸びていました。作業をしてくださる方は、すでに木の上に登っていて先の方から切っていらっしゃるようですが、あまりにも高いところで、下から見上げても何が起こっているのかまったくわかりません。なによりも、それほど高い木の上に人が登って作業をしていること自体が、怖いを通り越して不思議な感覚です。本当に遠くの枝が揺れているかいないかわからないくらいの高さなのです。木の上からはどんな眺めなのか興味はありますが、登れるはずもありません。

伐木の作業は、クレーンに繋がったロープを、木の切り離してしまう部分に結びつけてから切り、そのままクレーンで下ろすという行程だと思います。先ず大切なのは木のどこのどのようにロープを掛けるのかです。これを間違うと、木が切れたときに大きく揺れて、切っている人にぶつかってくる危険性もあります。長年の勘とはいえ、どの位置にロープを結び、どこを切るのかがわかるというのはすごい技だともいます。しかもとてつもなく高い木の上で枝に立って行う作業です。

はらはらしながら見ている私などには関係なく、作業は淡々と進んでゆき、木は少しずつ短くなってゆきました。この日はお天気は良くなったものの、寒気が残りとても寒い日でした。時々吹いてくる北風のせいで、下から作業を見上げているだけですぐに寒くなってきます。何十メートルもある木の上はどれほど寒いのでしょうか。しばらく見ていましたが、あまりにも寒いので、作業が無事に進むことを祈りつつ、残った仕事を片付けるために、園に行きました。

代受苦

2014/01/09

ケーブルの職員さんが「玉杉大黒天の杉の木は世の中の悪いことを受けとめ引き受けてくださっていることに感謝したい。」とおっしゃっていたことを、お寺の貫主様に話したら、昭和25年の台風で大杉権現の杉の木が倒れてしまったときに、先代の貫主様が「大悲代受苦」だとおっしゃっていたことを思い出していたところだったと言ってくださいました。

大悲代受苦とは代受苦ともいい、大きな慈愛の心をもって他の人の代わりに苦を引き受けることです。つまり、先代の貫主様は、大杉権現の杉の木が大悲代受苦、大慈悲の心をもって人々の苦しみを一身に受けて倒れられたとおっしゃっていたのです。まさに今玉杉大黒天の杉の木も同じ状態なのではないかと思いました。そうしたら、申し訳ないとか残念だというよりも、ありがとうございますと感謝する気持ちの方が強くなるものです。

そして、いよいよ伐採の日が近づいていきました。事前に玉杉大黒天に感謝、供養して、鋸をあてさせていただくことをお許しいただくために祈りを捧げて、はじめて作業する事ができます。12月28日に作業を行う予定でしたが、近畿地方にも強い寒気が流れ込んで、前日の夕方にはそれまで降っていた雨が雪に変わり、あっという間にうっすらと雪化粧です。夜に入っても雪が降ったり止んだり、翌朝には道路も白くなっていました。この状態では、作業のためのクレーン車が動くことができないというので、作業は翌日に延期されました。その後暖かくなって午前中に雪は溶けてしまったので、昼にはクレーン車を作業する場所に据え付けることが行われました。これほど巨大な車がよくここまで登ってきたと思うほどの大きなクレーン車が、参道の途中に無事に据え付けられました。28トンもの重さがあり、クレーンの腕を伸ばすと40メートル以上になるそうです。

翌日の作業が無事に行われることを祈るばかりでした。

余裕を持って

2014/01/08

玉杉大黒天のご神木は、皆さんから親しみを持って「玉杉さん」の愛称で呼ばれています。私はそのご神木を伐採せざるを得ないことがなかなか受け入れられなくて、どこか心に引っかかり、スッキリしないそんな気分を懐いたまま年末を過ごしていました。

そんなとき、子どもたちがお寺のお餅つきに参加するのにケーブルカーを利用したいとお願いに行ったときに、ケーブルカー担当のお寺の職員さんと話していたら、その方が「今回のことは、良かったですね。」とおっしゃるのです。何のことかと思いながら聞いていたら、どうやら玉杉さんの伐採のことのようです。その方は「確かに切らなくてはいけないということは残念なことですし、心が痛みます。でも今のように傾いているのは、きっと玉杉さんが世の中の悪いことをたくさん受けとめてくださっているということだと思うので、自らの身を呈してそういう役目を担ってくださる玉杉さんに感謝しているんです。」と言ってくださいました。

そのことばを聞いて、私はハットしました。今、起こっていることをいたずらに目で追うばかりで、その意味や本質を見ようとせず考えようとしない、そんな余裕がなくなってしまっている自分に気付くことができたのです。心に引っかかっていたものがスーっと消えて、心が軽くなりました。

そして、こんなことも聞かせてくださいました。お寺の本殿に鞍馬側からお参りするには、九十九折り参道を歩いて登山するか、ケーブルカーを利用して登山するという2通りの方法があります。しかし、玉杉大黒天のご神木が倒れそうなので、九十九折り参道は通行止めになっていて、ケーブルカーを利用するしか登下山の方法がないのです。そういう条件の中で、今まで何年もお参りしていらっしゃる方から、初めてケーブルカーに乗ってみたけれども、とても良かった。ということばを聞いた。玉杉さんのおかげで良いご縁をいただいた。というエピソードです。

うわべだけを見ると、良くないことが起こっているように見えますし、そのことばかりを目で追って見ていると良くない方にばかりとらわれて、どんどん良くない方向に心が流されてしまいがちです。でも、もう少し心に余裕を持って、高いところから全体を観ると、良くないと思っていることが良いことの原因になっていたり、そのこと自体が実は良いことだったりしていることがあるものです。いろいろなことを良いことにするためにも、心に余裕を持っていたいものだと思います。

心残り

2014/01/07

子どもたちを見守ってくださっている玉杉大黒天の大きな杉の木。別の倒木によって傷ついても、力強く立っていた木でしたが、昨年12月初めごろから傾きが気になり出しました。以前から少し傾いていたのですが、傾きが大きくなったように感じてならなかったのです。それも、前は少し横に向いていた傷口が正面の方を向いてきたようなので幹がねじれながら、傾いていっていたようです。お寺の皆さんも心配されていたようですが、参拝者からも心配の投書があったそうです。

最初はずいぶん傾いたなーと思った程度でしたが、日が経つにつれ傾きが強くなってゆくのです。危険なので、大きな木を切ることを専門に行っていらっしゃる方に相談したら、このまま放っておいたら倒れてしまうので、切るしかないとアドバイスしてくださったそうです。

しかし、なんと言ってもご神木です。私も、好きな木なので伐採されてしまうのは、心が痛みました。お寺の皆さんもそう考えたようで、たとえダメでもベストを尽くして助けることを考えることなく、安易に伐採してしまうのはご神木に申し訳ないという気持ちを持った人が多かったようで、わらにもすがる思いで、近くにいらっしゃる樹木医の方に診ていただきました。樹木医の方は、幹の上の方を見て、雷が入ったかもしれないとおっしゃったそうですが、結論は、「切ることをおすすめします。」でした。

いよいよ、12月28日と29日の2日間で切ることが決まりました。28日にはお寺で行われるお餅つきに全園児で参加する予定でしたが、伐木のために道路が通行止めになるので、もちつきへの参加を取りやめたクラスもありました。そんなこともあってか、どうしようもないのはわかっているし、専門家の意見が「伐採」だとしても、最後に何とかならないものかという思いが頭から離れず、私はしばらく軽い気持ちにはなれませんでした。

見守られて

2014/01/06

当園はお寺の境内にあります。お寺の境内は山の中です。ですから、境内には動物、植物、昆虫、様々な生き物が生きています。そして私たちが最もよく目にするのが樹木です。樹木の種類もスギ、ヒノキ、マツ、トガ、ケヤキ、カゴノキ、カヤ、サクラ、カエデ・・・などなどたくさんありますし、小さな木から樹齢100年以上の木もたくさんあり、中には樹齢500年を超える木もあります。

古い大きな木の多くが杉の木で、ご神木として古くから多くの方が拝んでいらっしゃる木もあります。園から参道を少し登ったところにある、由岐神社の境内には樹齢800年といわれるものを含む3本ほどの杉の大木がありますし、由岐神社の少し上には、玉杉大黒天と呼ばれて信仰を集めている大きな杉の木があります。葉の先が玉のように巻いているから玉杉(たますぎ)と呼ばれているそうです。子どもたちは散歩の途中によく見上げています。

山頂付近の木の根道は子どもたちのお気に入りの場所の一つですが、この近くには大杉権現として信仰されている樹齢千年の杉の木があります。残念ながら昭和25年の台風で折れてしまい、根から10メートルほどを残すのみとなっていますが、お参りの方が絶えません。

もちろんご神木以外にも大きな木はたくさんありますが、子どもたちにとって身近なのは、由岐神社のご神木と、玉杉大黒天だと思います。そのうち玉杉大黒天の杉の木は、もともと、太い幹が二股に分かれた特徴のある杉の大木だったのですが、20年くらい前になるでしょうか、台風で他の大きな木が玉杉大黒天に倒れかかって、二股になったところから二つに裂けてしまったのでした。大きな傷を負ったにもかかわらず、その後もしっかりと立って、私たちを見守ってくださっていました。

子どもたちは、みんなに見守られて大きくなってゆきます。

試してみる 4

2014/01/05

昆布の味比べにはじまり、いろいろなことを実際に試して見ることがおもしろくなってきました。翌日になり、前日に作ったおすましが少し残っていたので、味見をしてみたら、どちらの昆布を使ったおすましも、味がまろやかになっていました。もちろん、一晩置いたものを子どもに提供することはありませんが、時間の経過も味に影響するのだと思いました。

試してみることは更に広がってゆきます。次には味噌汁で試してみるとどうなるのだろう?という疑問が湧いてきて、調理の先生が2種類の出汁昆布で味噌汁を作り比べていました。味噌汁になると、おすましでは気になっていた、新しい昆布(B)の味の主張がそれほど気にならなくなり、しっかりした味わいの味噌汁になりました。今まで使っていた昆布(A)の方はあっさりしたいしさ。といったところです。保育士の先生達にも試してもらったら、好みはいろいろでしたが、体が元気なときには昆布(B)を使った、しっかりした味が美味しいと感じるし、疲れているときには、昆布(A)を使ったあっさりした方がうれしいかもしれないといった意見もありました。とてもおもしろいと思います。

この実験?を通して昆布(A)も(B)も、使用目的や料理の種類によって使い分けるのが良いのではないかという結論にいたりました。

その素材がもっとも生きる調理方法や味付けは何か、素材のことをよく知り、活かせる方法を考えると良いのですね。当然といえば当然のことなのですが、小さことであっても、体験を通して実感することは価値のあることだと思います。

それぞれの食材について良く知り、この食材の良さを最も活かすことのできる場や調理方法はなにか?と心を使うことが大切なのでしょう。

ひとり1人違う人のことをよく考え、理解しようとしたうえで、その人の良さが最も輝く場所や仕事ってなんだろう?そんな風に考えられると良いのですが・・・

2種類の出汁昆布をきっかけに、試してみることをこんなに楽しめたのは、すぐに実行して形にしてくれた、調理の先生達のおかげです。

試してみる 3

2014/01/04

出汁昆布の味比べでおすましを作ったら、今まで使っていた昆布が全体的に味のバランスがとれていました。

新しい昆布(B)は単独では味がしっかりしていたものの、様々な味が混じるとバランスが悪くなってしまいました。自己主張が強すぎると、いろいろなものの味をバランスよく活かすことが難しくなるのでしょう。

人でも同じかもしれません。声が大きく自己主張の強い人が自分の意見をどんどん通そうとすると、良いアイデアを持っている人でも、発言でき無いままになってしまったり、発言しても、大きな声にかき消されてしまうことがあります。そうなると、全体としてはバランスが悪くなってしまいます。

出汁昆布(A)は、単独ではあまり目立たないのですが、他の食材の良いところを引き立てるように働くと、材料それぞれの良さが活かされて、全体としてはバランスのとれた味になりました。

これを人に当てはめると、「人の意見を聞く(聴く)」ということにつながるかもしれません。聞き上手はコミュニケーション上手だと聞いたことがありますが、人の話を素直に聴く、何か意味のあることなのだと思って聴く、ただ聞くのではなくて傾聴することがこれに当たるのかもしれません。みんなが大きな声で、言い合ってばかりでは、どこかバランスが悪くなってしまいそうです。昆布が「傾聴」することの大切さを教えてくれました。ちょっと飛躍しすぎですかね。

昆布一つとってもこれだけ奥が深いものなのだということに、不思議さとおもしろさを感じ、調理の先生たちと「いろいろなことを試してみるとおもしろいね。」ということになりました。

せっかくおすましを作ったので、子どもたちや保育士の先生たちの意見も聞いてみました。子どもたちはおすましの味見をしてそれぞれに自分の好きな方を教えてくれましたが、顕著な傾向があったわけではありません。保育士の先生達は、今まで使っていた昆布(A)が好きといった人が少し多かったかもしれません。

試してみるのって、わくわくします。

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