園長ブログ

たのしくいただきます

2014/02/22

子どもたちが、親子丼やさんにやってきました。「いらっしゃいませ!」「どれくらいの量にしますか?」と聞くとちょっと照れ気味の子どもたち。「大盛り!」という注文を聞いて鍋を火にかけると、目の前で具が煮えて、流し入れた玉子が固まってゆくのを興味深げに見ています。「なんで、玉子の色が変わるん?」と聞いてくれる子もいます。「なんでかなー?」と聞き返すと、「うーん」考えて、いろいろな答えを返してくれます。もちろん答えない子もいます。子どもが不思議だと思ったことを「なんでかな?」とじっくり考える事ができる時間やチャンスを奪わないようにしたいものです。

玉子に火が通って、ふわっと固まったら、ごはんの上にのせてあげて、「おまちどおさま。熱いので気をつけてください。」と出してあげると、ニコニコしながら「ありがとう」といって自分の席に持って行って食べていました。

おいしかったのか、いつもと雰囲気が違って嬉しかったのか、お代わりして食べる子が多かったように思います。中には、そんなに食べて大丈夫?と思うくらい何度もお代わりする子もありました。

「先生おいしかったー!また、つくってな!」そんな声をたくさん聞くことができました。週明けの月曜日、「園長先生がごはん作ってくれた。と子どもが言っていたのですが、本当ですか?」と保護者に尋ねられたので、親子丼やさんの話をしたら納得してくださり、子どもが家で「おいしくていっぱいおかわりした。と言っていました。」と伝えてくださいました。私は配膳プラスその前の一手間の手伝いをしただけですが、子どもたちの食事に少しの楽しさをプラスできたのなら、幸いです。

自分で決める

2014/02/21

いよいよやってきた親子丼やさんが開店する土曜日、少し早めから準備をして子どもたちを待ちました。その日は出席人数が極端に少なかったこともあり、乳児クラスの子どもたちも、幼児クラスのランチルームで一緒に食事をしました。乳児クラスの子どもたちにも同じようにして親子丼を作ってあげたのは良かったのですが、できたての親子丼は少し熱くてとまどっていたようです。

幼児クラスの子どもたちは、保育室で思い思いに自分の遊びに取り組んでいました。何人かでカプラを高く積み上げたので見に来てほしいといわれ、2階に見に行ってみました。三角巾とマスク、エプロンを着けた私の姿を見て、怪訝そうな顔をする子、笑い出す子、いろいろでしたが、園長が変なかっこうしているけれど、何が始まるのだろう?と思っていたに違いありません。

子どもたちが遊んでいる中で、昼食が食べられる時間になったということを知る。そして、もう少し遊んでいるのか、片付けて食事に行くのかを自分で決める。食事に行くと決めたら、一人ではなくて友だちを誘ってランチルームへ行く。そして、食べたい量を申告し、目の前でできあがった親子丼を、友だちと決めた場所で、友だちと一緒に楽しく食べる。あまり楽しすぎておしゃべりが弾み、食事がおろそかになってしまわないように、いつまでに食べ終わるかも自分で決めておいて、決めた時間までに食べ終われるようにする。そういったことを子どもたちに経験してほしい。私はそう思ったのです。

子どもたちは、あまり経験したことのないことだったので、少し戸惑い気味でしたが、もうすこしきちんと説明して、わかりやすい環境を整えてあげれば、きっと子どもたちは自分自身でそれができるようになると思うので、ときどきそんな機会が持てると良いと思います。

試作

2014/02/20

親子丼やさんが開店することになり、先ずは手始めに子どもたちの出席が少なめの土曜日に挑戦することにしました。

しかし、ぶっつけ本番でやるわけにはいきません。初めての試みなので、事前に一度試しておかないと、わからないことが多すぎて不安です。かといって平日は、みんな手一杯ですし、子どもたちもたくさんいるので、試すのは難しいのです。ですから、調理担当者は休日に園に来て試作品を作っていました。

本番当日は、調理担当者2人のうち1人はお休みをいただいていたので、代わりに私が親子丼やさんのおじさんをする事になっていました。ですから、私も試作にも参加して、一人前を作るのにどれくらいの量が必要なのか、どのくらいの時間がかかるのかを知っておきたかったのです。

あらかじめ火を通した具材と玉子を親子丼鍋に入れてカセットコンロにかけ、ちょうど玉子が固まったところで、お茶碗によそったごはんの上にかけます。簡単そうですが、慣れない私には具や出汁、玉子の量の割合を加減するのが難しいのです。

具があまり多いと子どもは食べきれませんし、出汁が多いと、ごはんにかけたときに、つゆだくどころかお茶漬けのようになってしまいます。何度も作ってみてようやく、ある程度の割合がつかめました。調理担当者はやはりその辺りは手慣れたものです。すぐにコツをつかんでおいしい割合で作っていました。

それにしても、休みの日にも園に来て、いろいろ試してみる。しかも、しょうがないからそうしているのではありませんし、必ずそうしなくてはならないことでもありません。子どもたちに喜んでほしい。楽しく食事をしてほしい。という思いで自ら積極的に園に来て試作をしてくれているのです。それも、楽しそうに。

業務だからではなく、「そうしたい」という気持ちで、そうしてくれている職員さんに感謝せずにはいられません。

楽しい時間

2014/02/19

子どもたちの昼食をもっと楽しくできないか?
保育士の先生方もそうですが、調理担当の先生方も一所懸命にそんなことを考えてくださっています。

献立作成会議で「子どもたちに玉子がふわふわの親子丼を食べさせてあげたいんです。」という希望が調理担当者から出てきました。それ、おいしそうだねという話が盛り上がり、どんな方法でそれができるかな?とみんなで考えたら、子どもたちの目の前で、親子丼を作って出してあげると良いのではないかというアイデアが浮かんできました。

子どもたちが目の前で親子丼ができあがるのを見れば、いつもとは違う食事への興味が湧くかもしれない。「親子丼やさん」なんてことにすると、毎日の昼食がちょっと特別になるかな。非日常感が心のわくわく調味料となって、よりおいしく食べられるといいね。なによりも楽しそう!

そう考えると楽しくなって来て、お店みたいな装飾をするとおもしろい。いつもはみんな揃っていただきますをしているけれども、お客さん(子ども)が一度に来店すると対応しきれないので、3人ずつくらいランチルームに食べに来てくれるといいね。それも、「おなかがすいたから、お昼ごはんを食べに行こう!」と自分で決めて、友だちを誘って食べに来るようなことができるとおもしろいね。みんなで「いただきます」をせずに、子どもたちが食べ始める時間を自由に決められるとしたら、自分で食べ終わる時間も決めて、自分で時計を見ながら食べ方を調節するという経験ができるかもしれない。などなどいろいろなアイデアが浮かんできます。

あーでもない。こーでもない。とわいわいがやがや話し合っていると、それだけで楽しくなります。こういうときこそ、遊び心を全開にして突拍子もないことでも提案してみると、話が意外な方向に発展してゆくこともあります。

子どもたちの「たのしくいただきます」のために、何ができるか。みんなで考えるだけでも楽しい時間です。

やっぱり楽しい!

2014/02/18

2回目のギターサロン、途中で少し休憩を入れましたが、楽しい時間はどんどん過ぎて、あっという間に3時間近くが経っていました。最後のセッションは、4人で1グループを作り、どう始まってどう終わるか、最初から最後までの構成を考えます。私のグループは大学生がいろいろと考えてくれました。みんなで普通に弾いた後、少し違った引き方をして、誰かのソロを入れて、最後はそれぞれに好きなように弾いて、終わり方を合わせる。それなら、一人ずつソロを入れた方が良いのではないか、ウクレレとギターが分かれてみるか。などいろいろなアイデアが出てきます。私のグループはアコースティックギター2人とウクレレ2人だったのですが、もう一方のグループは、アコースティックギター1人、エレキギター1人、ウクレレ1人、ベース1人と種類が豊富です。エレキギターの人はその特性に合わせた弾き方を先生から教えてもらってセッションに臨んでいましたし、ベースはもちろんベースの弾き方があります。ギターとウクレレは初参加の2人でした。いざ、セッションがはじまると、初めての人が入っているとは思えないくらいかっこいいのです。自分が弾いているときは、いっぱいいっぱいになっているので、何が何だかよくわからないのですが、他のグループのセッションはステキでした。

最後のセッションが終わってみると結構遅い時間です。その日には、初参加のお二人の感想を聞く時間もなかったので、翌日「昨日はどうでした?」と聞いてみると、2人ともから「楽しかったですー!」という答えが返ってきて安心しました。今回の参加をきっかけに自分のウクレレを買うことにした方もいたようです。

自分でやりたいと思ってやる楽しさ、一所懸命に取り組む楽しさ、上手な人にあこがれて真似てみる楽しさ、緊張感も含めた誰かとセッションする楽しさ、いろいろな楽しさがギターサロンにはあるように思います。その楽しさから、自分で勉強してみたい、上手くなりたいという気持ちが生まれてくるのです。ですから、基本的なことも含めて、先生はあまり細かなことを教えようとはしません。「楽しいからやってみたい!」「上手くなりたい!」という気持ちがあれば、自分で習得しようとするので、先生は教えることを必要最小限にしていらっしゃるような気がします。先ずは、「楽しい」「やってみたい」なのではないでしょうか。次のギターサロンが楽しみです。

セッションの楽しさ

2014/02/17

「楽しさ」が、何かに取り組むときの原動力になります。楽しさは、自分のやりたいことを思う存分できることからも生まれますし、没頭する楽しさもあります。集中して思う存分取り組んでいると、ゾクゾクするような楽しさに包まれることがあります。特にスポーツなどしていると感じる事が多いように思います。

1人で集中する楽しさも良いのですが、みんなで行う楽しさというのもまた大切です。誰かとぴったり息が合ったとき、みんなでアイデアを出し合って何かを作り上げるとき、他にも誰かと一緒にやるからこそ味わえる楽しさというのがあります。みんなで喜びたいからがんばる。みんなの役に立つことが嬉しいから努力する。ということだってあります。みんなで取り組むことで、ひとり1人が自分の持っている以上の力を発揮することもあります。

和田直樹さんのギターサロンでは、両方の楽しさが味わえます。「レッスンではなくセッション!音によるコミュニケーションを主とした普通のギターレッスンとはひと味もふた味も違う新感覚ギターレッスン。」というのが和田直樹さんのギターサロンの謳い文句です。

初めての人でも少し練習したらすぐにセッションします。もちろん上手く弾けなくても良いのです。遅れないようについてゆく努力をするのも、コミュニケーションの一つです。最後はどうして終わろうかと、相談するのも良いですし、演奏しながら目で合図して終わり方を決めるという方法もあります。

1回目はゆったりと、2回目は少しアップテンポに、最後は余韻を残して終わろうなどとと打合せをして演奏してみるのも楽しいですし、それがうまく行って、最後にきれいに決まったら、もっと楽しいのです。不思議なことに、セッションすると超初心者でも上手に弾いているように見えるというか感じるのです。私のようにコードチェンジが上手くできなくて、遅れそうになったり、何小節か跳ばしていても何とか終われれば、何とかなったりします。次にやるときには何とかついて行けるようになろうとがんばる力になることもあります。

今回初参加されたお2人は本当に上手だったので、セッションもとてもステキでした。

楽しく取り組む

2014/02/16

それぞれの課題にとりくむこと、自分のレベルに合わせた練習は、やり甲斐があります。弦を押さえる指の先が痛くなっても、もう少しがんばろうと努力します。そこに楽しいという気持ちと、弾けるようになりたいという願いがあるからです。

時間の経つのを忘れるくらい、何かに没頭する。多少声をかけても振り向かないくらい集中して何かに取り組む。園ではそんな子どもたちの姿をよく目にします。それは、その子が今やりたいことを思う存分に楽しんでいる姿です。一つのことに集中している姿です。この楽しいことを思う存分にできることが大切なのです。適切の欲求を満たすことで情緒が安定します。そして何かに集中する経験をたくさんしていれば、いろいろなことに取り組むときに、集中しやすくなります。自分がやりたいことであれば、困難にも挑戦する意欲が湧いてきますし、困難を困難と思わないかもしれません。なんといっても楽しいです。

ギターサロンでギターに挑戦してみて、楽しければ挑戦したくなる。努力することも厭わずに取り組むことができる。ということを改めて実感し、やはり子どもたちにはやりたいことが思う存分できる環境と機会をできる限り用意してあげたいと思いました。

ひとりひとり楽しむ

2014/02/15

2回目のギターサロン。初めて参加した方はセンスが良いのか理解が早いのか、すぐに上達してセッションに参加していらっしゃいました。最初はとても緊張していらっしゃる様子でしたが、先生にアドバイスをもらいながら練習してゆく中で、コツがわかってきたのか、楽しくなってきたのか、一所懸命に取り組んでいらっしゃいました。その成果でしょう。2回目のセッションではステキに演奏していらっしゃいました。

参加者はその人のレベルに合わせてひとりひとり先生に弾き方を教えていただき、それぞれの課題に取り組みます。私なら、何とかコードを押さえて音を出し、最初から最後までできるだけスムーズに弾くことが課題なので、そこを練習します。先生が少しずつその人に合ったアドバイスをしながら、みんなのところをまわってくださるので、その間は自分で練習しているのです。

左手の指先は痛くてしょうがないくらいになるのですが、この1人で黙々と練習することがなぜか楽しいのです。仕事以外では滅多にないくらい集中して取り組めて、とても心地よいのです。それは、なぜなのでしょうか。私のレベルでは、セッションが楽しくてしょうがないというわけでもありません。やはり、自分の目標と課題を知り、そこに向かって自分自身でやりたいと思ってやっていることが、楽しいのです。

ギターが上手で、普段の保育でも良くギターを持って子どもたちと歌っている保育士の先生は、聴いたこともないような名前のとっても難しいコードに挑戦していました。それぞれのレベルに合わせた課題があるから、集中して取り組めるのだと思います。

これが一斉画一的に、じゃあまず、Dを押さえてこんな感じで弾きます。次はCですよ。なんてやっていたら、私のようなセンスのない初心者に合わせなくてはならない上級者はつまらないでしょうし、上級者に合わせて進んでゆけば、私などはちんぷんかんぷんで、つまらなくなってしまいます。

ひとり1人が自分の課題、自分の力の120パーセントをめざすように取り組むことで、それぞれが楽しさを感じられるのだと思います。

第2回ギターサロン

2014/02/14

2回目のギターサロンを開催しました。今回は、保護者の皆様にも案内を差し上げたら、1人参加してくださいました。園の職員も新しいメンバーが1人加わり、合計9名で開催です。新しメンバーが加わったこともあり、みんなで自己紹介から始めました。今回初めて参加する人はそれぞれ、ウクレレとギターでの参加ですが、2人ともギターもウクレレも、今日初めて触るという超初心者です。和田直樹さんから「これから行うのはレッスンではなくセッションです。」と説明されますが、怪訝そうな表情の2人。今から何が始まるのか、さぞかし不安だったでしょう。これはいくらことばで説明してもらっても、なかなかわかるものではありません。なんて偉そうなことを言っている私も前回は同じような表情をしていたのかもしれませんが・・・

今回の課題曲は「聖者の行進」、先ずルイ・アームストロングのCDで課題曲を聴きました。「聖者の行進」(When The Saints Go Marching In)はアフリカ系アメリカ人の霊歌で、ルイジアナ州ニューオリンズでは葬儀のパレードで演奏される曲なのだそうです。

配られた楽譜には、コードが記されていましたが、使うのはG、C、Dで、前回の「スタンドバイミー」のときに経験したコードばかり、なおかつEmが1つ減っているので、もしかしたら結構弾けるかもしれないと思いましたがそれが間違いだということにすぐに気付きました。まず、CDで聴いた曲とこのコードがどう繋がっているのか最初は全くイメージできないのです。自分のセンスとリズム感の無いことに改めて愕然としました。先生にアドバイスをいただきながら、何度か弾いているうちに、ようやく少しわかってきたような気がするくらいですから、センスのなさは相当なものです。

少し練習したら、いきなりセッションタイムです。「一番にやりたい人」と先生がおっしゃるので手を挙げたものの、うまく弾けるわけがありません。前回からそうでしたが、コードチェンジがなかなかうまく行かず、どうしてももたもたしてしまうのです。ギターサロンはそれでも良いのだと思います。うまく弾けるに越したことはありませんが、今の自分が楽しく精一杯やっていればいいし、できないところはできないと自分で気付き自分を認めることも必要なのです。そこで、楽しむことが大切なのです。セッションしてくれた人もわかってくれていると思います。私が勝手に思っているだけですが・・・

願い

2014/02/13

獅子は一通り舞うと、子どもたちの頭を噛み始めました。獅子舞の獅子に頭を噛まれるのは、邪気を払う・疫病退治などの意味があり、獅子に頭を噛まれると無病息災でいられると言われています。しゅうめいさんは獅子舞の説明の際に「獅子がみんなの頭を噛みに行きます。そうしたら、頭を出してください。獅子に頭を噛まれる時にはお願い事を一つしてください。」とおっしゃっていました。

獅子は「みんなが幸せになってほしい。みんなに良いことがありますように。」という願いを込めて頭を噛むので、是非その願いを受けとめてほしいということだと思います。そこには「願い」があります。頭を噛んだこの人に良いことがありますように。この人が幸せになりますように。という獅子の願い。どうか無病息災で過ごせますように。幸せになれますように。という噛まれる人の願い。双方の願いが重なり合い響き合い、共鳴して願いの力が強くなり、心に響くのでしょう。

子どもたちの中には、誰に言われたわけでもないのに、獅子を前に合掌して頭を噛まれている子がいました。子どもたちの自然に合掌してしまう、意識しなくてもそうしてしまう姿を見て、その心の素直さに感激し、目頭が熱くなりました。子どもがそんなにも素直な気持ちで頭を噛まれているのに、撮影していたビデオカメラに手をかけたまま、頭を噛まれていた自分自身の姿をとても恥ずかしく思いました。

今回は泣いた子はあまりいませんでしたが、獅子を見て泣く子は大勢いるそうです。泣いて怖がる子どもの頭を獅子に向かって差し出す大人。泣いていやがる子どもを無理矢理獅子に噛ませるなんてかわいそう。という意見もあるかもしれません。でも嫌がる子どもの頭を差し出す大人には、「願い」があります。この子が元気でいられますように。良いことがありますように。という願いがあるのです。しゅうめいさんがおっしゃっていましたが、子どもが泣いてかわいそうだからといって、獅子からかばってしまうと、子どもにとって獅子はただの恐怖の対象でしかあり得ない。子どもにとっては子どもは、「こんなに怖がっている自分の頭を差し出す大人は何を考えているのだ。」という気持ちなのでしょうけれども、そこには大人の「願い」があるので、信頼している大人がすることだから・・・。という気分が醸成されるのかもしれません。

みんなが幸せになってほしい。という獅子の願い。そして、我が子が元気に成長してほしいという親の願い。何だかわからないし、どうしようもなく怖いけれど、でも何か意味があるんだと身体で感じる子どもの気分が三つどもえになって、みんなが良くなれる。そう感じた獅子舞でした。

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