園長ブログ

カエル発見

2014/07/13

5歳児の子どもたちと、山の上にある池でモリアオガエルのたまごを観察したあと、お寺の庫裏の裏にある池にも行ってみました。山の上ほどではありませんが、こちらの池の上の木の枝にも泡状の卵塊がいくつか見られました。

ここでも子どもたちとたまごを眺めていたら、誰かが「カエルがいる!」といい出しました。みんな「どこ?どこ?」と探しますが、なかなか見つかりません。「ほら!鳥の頭のうえ!」カエルを見つけた子どもがいいます。

よくよく見ると金属製の鶴の置物の頭のうえにきれいな黄緑色のモリアオガエルがちょこんと乗っかっていました。その姿がとてもかわいらしくて、みんなでしばらく見ていました。

集中 3

2014/07/12

自分の動作一つひとつをことばにしてみる。それはまるで実況中継のようでもあり、自分のしていることを自分自身に報告していることでもあります。

動きを意識することに加えて、同時にその時々に感じられる感覚、視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚でそれぞれどう感じているかを意識します。そうすると自分の行動と、それにより刺激されている感覚器官と、そこから入ってくる刺激を客観的に認識できます。

そして、動作一つ一つを意識するので、丁寧な動きになります。物を置くにしても、置くことを意識するので、きちっと置いてから手を離すようになりますし、乱暴に無造作に置くことも少なくなります。それは物を大切に扱うことですし、がさつで落ち着かない感じを作り出してしまうことも防ぐことができます。

ですから、時々子どもたちに昼食を食べ終わった後の食器を片付けるときに、「できるだけ音がしないように置いてみない。」と提案することがあります。そうすることで、多少時間はかかるかもしれませんが、子どもは自分の感覚を総動員して、音を立てないように食器を置こうとします。手先を中心とした体の動かし方を意識するでしょうし、食器を持つ指先の感覚や重さを感じている腕の感覚、そして、どこに置くと良いのかを判断するための視覚。音がするかしないかを聞き分ける聴覚などを主に使っていると思います。

カチャっと音がしないように置くのはなかなか難しいのですが、子どもたちと挑戦すると、楽しんで取り組んでくれることが多いのです。

集中 2

2014/07/11

自分自身の一挙手一投足に神経を集中することに触れてみました。意識を一挙手一投足に集中すると自分の心のなかで、ネガティブな思いの連鎖にとらわれる確率が下がります。連想のスパイラルに巻き込まれている暇はありません。

その他にも良いことがあります。物の扱いが丁寧になります。たとえば、物を移動するときに、自分の行動の一つ一つを意識してみる。動きを一つ一つを分解して、ことばにしてみます。

ペンを引き出しの中から出して机の上に置くことを例にとってみると、まず、引き出しを開けます。引き出しの引き手に指を掛けて引くと、引き出しが開く。このとき引き手に掛けた指の感覚にも意識を向けます。引き出しが開いたら、ペンが入っているのが見えます。「ペンを見ている」と意識します。ペンを指でつまんで持ち上げる。指でつまんでいる感覚、引き出しから取り出す感覚、ペンをつまんで腕を動かす感覚を感じます。そして机の上にペンを置く。途中で離してしまうのではなく。置くことを意識して置きます。ペンと机がゆっくりとふれあってから指をはなす。と自分の動作を分解して、それを行っているときにことばにしてみると、まるで実況中継のようです。もちろん声に出す必要はありませんが、言語化することにより自分の動きを意識的に確認しながら行う事ができます。

集中 1

2014/07/10

5歳児たちとモリアオガエルの観察に行った帰りに、山の中で目を閉じて、耳を澄ませたら何が聞こえてくるのか?と試してみたことをきっかけに、感覚器官から入ってきた情報とそれに従って心がどう動くのだろうということを考えてしまいました。感覚器官からの刺激蚤を観察することに神経を集中すると、心の中で起こる様々な連想に巻き込まれることにブレーキが掛けられるのではないかと思いました。

心の中で起こる思いや感情の連鎖は、誰かの批判であったり、恨み、妬み、嫌悪などネガティブな方向に転がってゆきやすいように思うので、そうなる前にそれをストップしたいと思います。そのために、今感じている感覚や自分の一挙手一投足に神経を集中すると良いかもしれないと思います。

今感じている感覚に神経を集中する。自分の動作の一つ一つに神経を集中し、それを意識する。具体的にはことばにしてみます。実際にやってみると、心の中でネガティブな思いの連鎖反応を起こしている暇はありません。

おいしくいただく たのしくいただく 2

2014/07/09

      七夕ちらし

七夕の日のお昼ごはんについて紹介しています。
メニューのなかの、七夕ちらしはちらし寿司のうえに、天の川に見立てた錦糸たまごとその両側に織り姫と彦星に見立てて星形に型抜きしたハムが盛りつけてありました。

煮物には冬瓜と油揚げ、星形に型抜きしたにんじんをあしらってあり七夕ムードを盛り上げてくれています。味もできるだけ薄味にして、素材の美味しさがしっかりと感じられるように工夫してあります。

酢の物はさっと塩ゆでした薄切りのキュウリと茹でエビのうえに手作りのポン酢ジュレがかかっています。

      冬瓜の煮物

このポン酢ジュレがとてもおいしかったので作り方を聞くと、市販品のポン酢を使うのではなく、一から手作りしたそうです。隠し味にライムを使ったそうで、その発想の豊かさには驚かされました。ライムというと私にはカクテルに添えてあるくらいのイメージしかなかったのですが、さっぱりとした酸味が味を引き締めていて、とてもさわやかに仕上がっていました。なぜライムを使うことにしたのか興味が湧いたので尋ねてみると、何となく思いついたそうです。料理はレシピに忠実に作ることも大切ですが、発想豊な遊び心が大切だと思いました。

  きゅうりと海老のポン酢ジュレ


そして和食には似合わないかなと思われがちなとんかつが、味のバリエーションを豊かにしてくれていました。これにもポン酢ジュレをかけると、またちがったさっぱりとした味が楽しめます。

花麩のおつゆは薄味ながら、豊かなだしの香りが感じられるようにしてあります。

一品一品よく考え工夫して作られたお昼ごはんを、みんなでいただくと美味しさも格別です。子どもたちはもちろん、大人もとても満足そうでした。おいしいは、みんなを笑顔にしてくれますね。

おいしくいただく たのしくいただく 1

2014/07/08

前にも紹介しましたが、当園では、端午の節句、七夕、七五三、ひなまつりなどの日に合わせて幼児クラス(3・4・5歳児)の子どもたちが1人ずつお膳を使ってお昼ごはんをいただく機会があります。昨日は七夕まつりのあとにお膳で昼食をいただきました。この日は乳児クラス(0・1・2歳児)の子どもたちはランチプレートに配膳してもらって全園児と職員が一堂に会して一緒に昼食をいただき、子どもも大人も全員で共食する機会となっています。

子どもたちはいつもとちがう雰囲気に少し緊張しながらも、楽しんで食事をしています。はじめは正座をして食べる事が難しい子どもたちも、何度か経験するうちに、正座をして背筋を伸ばして食べるようになります。せっかくみんなで一緒に食べるのだから、子どもたちはもちろんのこと、先生方にも楽しくおいしく食べて欲しいという思いから、調理担当の先生たちは様々に工夫を凝らしたメニューを用意してくれています。品数が多かったり、手の込んだ一皿があったりして、調理室はとても忙しいのですが、朝早くから出勤してがんばって調理してくれています。
今年の七夕の日は「たのしくいただきます」でも紹介しているように

・七夕ちらし寿司

・トンカツ

・冬瓜の煮物

・きゅうりと海老のポン酢ジュレ

・花麩のおつゆ

というメニューでした。

  みんなでいただくとおいしいね

     おぜんでいただきます

聞くということ 7

2014/07/07

感覚器官を通して入ってくる刺激を感じる感覚と、その感覚によって生じる感情や思いを一緒にとらえていることが多いのですが、そこを切り離して、感覚は感覚として捉え、感情に結びつかないようにしてみます。

そうすると、感覚器官から入ってきた刺激が心の中で連想や妄想を起こすのを、初期の段階で食い止められそうです。

「暑い」と感じたら、これが暑いということなんだなー!くらいにとどめておきます。ほほを伝って汗が流れたら、ああ、汗が流れている。あごから落ちた。って感覚だけを感じます。暑いから嫌だとか、汗が流れて不愉快だとかは考えません。

今、感じていることだけに意識を集中するのです。

動作でいえば、自分の今していることに意識を集中します。歩くことであれば、足の動きや手の振りについて、右足はどうなっている、左足はどうなっている、手の振りはどうか、様々な動きの一つ一つに意識を集中させます。また、その時に感じる感覚、風がほほをなでたり、髪の毛が揺れたりしていることを順に感じてゆくだけにします。自分の動作や、感覚に集中していると、他のことを考える余裕はありません。ですから、変な連想や妄想がふくらんでゆくこともなくなるのではないでしょうか。妄想が起こらなければ、それに振り回されて苦しむことも少なくなるような気がします。

聞くということ 6

2014/07/06

ところで、自分自身の感じている感覚や、一挙手一投足とそれに伴う感覚に神経を集中したことがありますか。例えば、この時期なら、とても蒸し暑く、じっとしているだけでも汗が流れ落ちてきます。普通なら暑いからいやだなーとか、汗が流れて気持ち悪い
とか思ってしまいます。そうではなく、暑いとはこういう感覚!と感覚だけに意識を集中することにとどめ、その先を考えない、そこに嫌だとという価値判断をつけない。汗が流れている感覚だけは感じるけれど、汗がほほを伝って流れ、顎から落ちていった。と事実だけを感じることに集中して、気持ち悪いとか、何とかしたいとかということを考えるところまで結びつけないのです。

動作なら、歩くことを考えてみてください。上げた右足がかかとから地面についてゆき、つま先で地面を蹴ったら今度は、上げた左足が地面に着く。そんな動作とそれに伴う感覚、足の裏が地面をとらえる感覚や、歩くことで感じる風の流れに神経を集中してみる。足が痛いとか、歩くのがきついとか、考えることはしないのです。

普段はあまりそんなことは意識せずに、暑かったら、暑いから嫌だなー!とか、汗だくで気持ち悪いとか、感覚と感覚から起こってくる感情とを一緒にしているのではないでしょうか。

聞くということ 5

2014/07/05

自分の心の中で起こる、妄想の連鎖、特に広がりやすい負の妄想の連鎖は暴走し出すとなかなか止めることができません。でも、この心の暴走をなんとか止めないと、結局、自分自身がどんどん苦しくなってゆきます。

どうしたらそれがとめられるのでしょうか。そのためには自分の心に起こっていることを冷静に、客観的に見つめられるようになることが、第一歩かもしれません。どんどん連想が進んで妄想が膨らみ、何度も反芻するようにそのことを考えていたら、だんだんそれが固定概念のようになって思考に染みついてきます。そうするとそこから抜け出すのは難しくなるので、そうなる前のできるだけ早い段階で、負のスパイラルに陥るまでに食い止められるといいとおもいます。

まず最初は、感覚器官から情報が入ってきて、それに心が反応する時です。ですから、感覚器官から入ってきた刺激はそのままに受けとめて、それについてとやかく考えなければ良いのかもしれません。つまり感じたことを感じたままに受けとめて、それに良いとか悪いとかいう価値判断をしなければ、連想が膨らむことがなさそうです。

聞くということ 4

2014/07/04

聞くことを始め、様々な感覚器官から入ってきた刺激に心が反応して連想が始まり、いつの間にか妄想になってしまう。その妄想も、良い方ならまだしも、不平不満や、誰かに対する批判、悲しい、苦しい、腹立たしい妄想が広がりやすいように思います。

こう書くと、とんでもないことのようですが、意外と気がつかないうちに自分自身にも起こっていることだと思います。気づかないうちにといいましたが、まさに気づかないうちにそうなっていることの方が多いようです。特に自分が正しいと思っているとき、そう思い込んで、心が硬直しているときにはなおさら気づきにくくなります。だって、正しい自分とちがうことを行ったりしたりする人は、自分が正しいという想いにとらわれている人にとっては、間違っているとしか思えないですし、「あの人は間違っている」というイメージにとらわれてしまうと、その人の良いところまで、「間違っている」と思い込んでしまいます。

でも、こんな負のスパイラルには陥りたくないものですし、深く陥る前に抜け出したいものです。だって一番苦しいのは自分自身ですから。

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