園長ブログ

森とともに

2011/10/06

秋の光はとてもやさしくて、木々の葉を透かして降り注ぐ日の光は、夏の若々しさとは違ってどこか落ち着いた感じがします。

夏至と秋分では太陽の正中高度が23.4も違います。光の当たる角度が違えば、物の見え方が違うのは当然なのですが、秋は春とはどこか違う落ち着いたやさしさがあります。山や森の中ではそれがとても良く感じられます。

特に秋田健康の森にはやさしさが感じられたので、鞍馬とどこが違うのだろうと考えました。まず大きな違いは、木々の間にクマザサや草がたくさん生えていることです。鞍馬ではほとんどが鹿に食べられてしまい、茶色い地面が露出しています。次に考えたのが、林相の違いです。針葉樹よりも広葉樹が多く、いろいろな種類の樹木や草が生えています。いわゆる雑木林です。杉や檜ばかりが植林された森とは様子が違います。もう一つが、岩や石が少ないことです。鞍馬で良く登る薬王坂は岩や石がごろごろしています。すぐに気がついたのはそんなところですが、どうもそれだけの違いだけではないような気がしながら歩いていました。ふと見ると林道の草が短くなっていたので、鹿に食べられたのだと思って近づいてみました。鹿ではなく人が刈ったようです。そうか!と思いました。佐藤さんが手を入れていらっしゃるのです。それも適度に。これかもしれないと思いました。佐藤さんが気持ちを注ぎ、手間暇かけていらっしゃるからこそこの森が維持され、そのやさしさを保っているのではないかと。

森の保育園を行う前には佐藤さんが必ず事前に調べてくださっていて、「今日は雨が強いから奥までは行かない」「熊が出た形跡があるから、あっちは近づかない方がよい」とアドバイスしてくださると園長先生から聞きました。森を知り尽くして大切に思い、気を掛け手間を掛けている方にしか言えない言葉です。こういう方がいらっしゃるからこそ、この森が維持されているのでしょう。

その佐藤さんが印象的なことをおっしゃっていました。

森にはトイレはないんです。以前は作っていたのですが、管理が大変だったり、動物が近づいてきたりするので撤去しました。そこにトイレがあると思うと、どうしてもそんなものだと思って甘えてしまう。トイレがなければしょうがないから、森で用を足すなど、それなりに対応するしかない。誰かが管理してくれると思うと無責任に使ってしまうんです。子どもも森にはトレがないことを知っていると、大人に言われなくても森に入る前にはトイレに行っておこうと自分で考えます。

この言葉を聞いて考えてしまいました。

今は便利な物がいっぱいあって、あれもこれもと身のまわりに物が増え、かえってそれにとらわれ振り回されている。今まで追求してきた便利や快適だけの価値観を見直す必要があるのではないかと。

森の中で

2011/10/05

森をしばらく進むと池があり、池の端に丸木橋が架かっています。子どもたちは対岸へ行きたくてその橋を渡ります。丸木橋ですから当然滑りやすく、よほど注意しないと池に落ちてしまいます。気をつけながら、さっさと渡りきる子もいれば、慎重に一歩ずつ進む子もいます。後ろに並んでいる子は決して「早くしてよ!」なんていうことはありません。急がせると危ないことがわかっているのでしょう。園長先生は見学者に「みなさんの近くで子どもが池に落ちたら助けてあげてください。」とおっしゃいます。見ているこちらは、ハラハラ、ドキドキ、ついつい何か言いたくなります。見学者を除けば、園長先生が一人で橋を渡っている子に「ゆっくりね。大丈夫だよ。」と声をかけていらっしゃるだけで、保育士さん達は他の遊びをしている子を見ていらっしゃいました。その様子を見ていて、子どもたちが自分自身をよくわかっているのだと思いました。

池を離れて山道をどんどん進みます。走って前に行く子、落ちている栗を拾っている子、様々です。当然、転ぶ子もいます。何度も転ぶところを見ましたし、私の歩いている近くで転んだ子は、そこに落ちていた栗の実をしっかりと握っていました。子どもたちは転んでも泣いたりしません。かなり派手に転んで、痛かったんじゃないかなと思うような転び方をした子も、痛そうな顔はしますが泣くことなく、すくっと立ってまた駆けてゆきます。子どもはとても集中して遊んでいるとき、その遊びが楽しいときは転んだりしてもあまり泣くことがないので、森に没頭してとても楽しく遊んでいたのかもしれません。

最後の関門は急斜面をよじ登る場面です。かなり急で、大人でも頑張らないと登れません。子どもたちはそれぞれに工夫して登ります。誰も遅い子を急かしたりしませんし、大人も手を貸すことはありません。ほとんどの子が登り切り、年少の子がひとり悪戦苦闘しながら登っています。先に登った年上の子どもが見かねて手伝おうと斜面を滑り降りてきますが、園長先生はその子たちに「ありがとう。でも○○ちゃんは自分で登るからね。」とやさしく声をかけていらっしゃいました。こういう場面って年上の子が優しさを発揮し、大人もそれを応援しがちです。それが良い時もありますが、いつもいつもそれが適切とは限らないかもしれません。自分で登ろうと頑張っている子にしてみれば、頼みもしないお手伝いは大きなお世話ですし、その子の自分からやっていようという気持ちを摘んでしまいます。子どもが自分のできる範囲をわかっていて、それを超える部分についてだれかに「助けて」といえる自立。お節介を焼かないけれども「助けて」と頼まれたときには進んで助けられる自立。そんな自立した関係が、子どもにも、大人にも必要だと感じました。

森へ

2011/10/04

いよいよ森へ出発です。黄金色の稲穂が、少しひんやりとした風にそよぐ畦道を歩いて森の入口へ向かいます。先頭の子は走るくらいの勢いでどんどん先に行って見えなくなりました。どこまで行ってしまったのだろうと思っていたのですが、ちゃんと森の入口で待っていてくれました。見学者がそろうまでには少し時間がかかったので、子どもたちは先に森に入ることになりました。一緒に出発すると、子どもたちが見学者の方に気を取られてしまって、しっかりと森を感じられなくなるから、子どもたちを先に森に入れる。という佐藤さんのご配慮です。

しばらく歩くと、粘土質の土がむき出しになっている斜面があり、子どもたちは登ったり降りたりして遊んでいます。長い急斜面をすべり台のように滑り降りたり、短い斜面を駆け上がったり子どもたちは服が汚れるのなんて気にせず自由に楽しんでいます。「子どもにやらせて大人が見ているだけではなく、大人も一緒にやらなきゃ!」という佐藤さんの声がけに見学者も斜面のぼりに挑戦して楽しみました。

そこを離れて林道を少し進むと、クマザサと雑木の間をぬって斜面を登るコースに行きました。木につかまらないと登れないところもある斜面です。「冬は雪がたくさん積もるので、この斜面をみんなで滑り降りるんです。」と園長先生が楽しそうにおっしゃっていました。想像しただけで楽しくなります。

私たちの近くで最近入園したばかりというの3歳児の女の子が、一人で懸命に坂を登っています。園長先生は、「ガンバレ!」ではなく、「ゆっくりで大丈夫だからね。ゆっくりでいいんだよ。」とやさしく声をかけていらっしゃいました。「○○ちゃんガンバレ!」私ならそういってしまいそうですが、その子は自分の力をめいっぱい使って斜面を登っているのです。そこに追い打ちをかけるように「ガンバレ!」といわれても、それ以上頑張りようがありませんし、辛くなるだけです。それよりも、その子の今をそのまま認め、それでいいんだよと安心できることばがけや、先生が後ろにいてくれるという安心感を持てるようにしてあげた方が、子ども自身の力が湧いてくるのだろう。そんなことを思いながら、クマザサをよけてゆっくりと歩みをすすめました。

森の保育園

2011/10/03

「森の保育園」という活動を展開されている保育園の園長先生から、公開保育をするので見に来ませんかと誘っていただいたので、男性保育士とはるばる秋田県まで行ってきました。この公開保育を行われた秋田チャイルド園は、子どもたち一人ひとりがより良く成長してゆくためには何をすべきかを第一に考え、子どもが主体的に活動することを中心とした保育、異年齢保育など当園と似た考え方で保育を行っていらっしゃる保育園です。

初日はまず「森の保育園」活動を見学です。北は仙台から南は沖縄まで、全国各地から集まった保育関係者約30名をバスで空港まで迎えに来てくださり、「森の保育園」活動が行われる森へ向かいました。この「森の保育園」は秋田チャイルド園の3歳児4歳児5歳児約70名が2グループに分かれ、毎月交代で森に入るという形で行われています。1人の子どもは2ヶ月に1回の割合で森を経験します。ですから、子どもたちにとっては日常ではなく待ち遠しい行事なのだろうと想像します。

活動の場となっている森は、十代以上にわたって農業林業を営んでいらっしゃる佐藤清太郎さんという方が、森林を活用して心身のリフレッシュを図ったり、森を歩くことでリハビリテーションが出来ないものかと考え「秋田森の会・風のハーモニー」という会を設立、ご自身の所有されている山林の一部を開放して活動されているところです。

出発地点となっている、佐藤さんのご自宅前広場に到着。秋田チャイルド園の子どもたちもちょうど到着したばかりでした。そこで、見学者は森に入る前に佐藤さんから注意事項を聞きました。1つ目は「森には、ハチもいますし熊もいます。ハチには自分で気をつけてください。刺されたときはあきらめてください。また、熊にあったら自分の力で逃げてください。助けることはできません。もし、森に入りたいならそれを覚悟した上でどうぞ。それがいやな方は森には入らないでください。」です。森に入るなら、誰かが助けてくれるだろうという無責任な考えは捨てて、自分の身は自分で守る覚悟が必要だということでしょう。また、森は様々な動物のテリトリーで、そこに人間が入らせていただくという感覚を忘れるなということだと思います。ドキッとしました。わたしもよく山に入りますが、その感覚を忘れかかっていたように思います。

それよりもっと衝撃的だったのは、「森では、子どもたちにそれをしてはダメと禁止をしたり、こうしなさいと指示、命令はしないでください。」ということばでした。これはいつも私が考えていることと同じで、そのことを保育を専門とされているのではない、森林のプロフェッショナルから聞いたことで、ショックを伴って心に響いてきました。

森はやさしくもあり、厳しくもあります。その中で活動する力は、子ども自身が自分で身につける必要があります。自分のできる範囲をわきまえる。危険を感じて回避する。そして、自分の興味に応じて楽しむ。これはいくら大人が頑張ってもしてあげられるわけではなく、子ども自身が身につけ、自立をしていないとできないことです。ですから、子どもの自立を妨げる、禁止や命令は、かえって子どもの力を奪ってしまうのです。それは森の中ではいのちを危険にさらすことにつながりかねないのです。

そんなうれしいショックを感じながら、森へ出発しました。

コロッケ

2011/10/02

給食のおかずにコロッケが出ました。当園は規模が小さいので、常勤の調理員が一人しかいません。彼女はいつも1人で70食ほどの昼食を作っています。ですから、手の込んだメニューや揚げ物などの手間暇のかかるメニューは非常勤の職員が出勤するときに取り入れています。

少しでも業務省力化とメニューを増やす目的で、今年度初めにスチームコンベクションオーブンを導入しました、それ以来調理員はいろいろなメニューに挑戦しています。蒸す、焼く、煮るというスチームコンベクションオーブンで作りやすい料理にはどんどん使っていますし、煮込むものや揚げ物も工夫しています。以前、職員のブログにあったように、非常勤調理員と協力しあってだしを取った後の昆布を甘辛く煮込んでおいしい昆布の甘煮を作っていました。

新しいメニューに挑戦するには時間の余裕が必要なので子どもの数が比較的少ない土曜日にやってみることが多いようです。昨日もレシピを自分で考えたコロッケに挑戦していました。スチームコンベクションオーブンで揚げ物を作ると、どうしてもおいしそうなきつね色にはなりにくいのですが、できたてを試食したら外はサクサク中はふんわり、きつね色とはいかないまでも焦げ目もついています。味も、調味料を後からかけなくてもすむようにと考えて少し濃いめにしてあります。とてもおいしくできていました。

いよいよ昼食の時間、子どもたちの反応が気になるのか、調理員は窓越しに様子をうかがっていましたが、子どもたちはみんな「おいしい!おいしい!」といってたくさん食べていました。

きっとおいしかったのでしょう、私と同じテーブルに座っていた子ども達がコロッケの中身はなんだろうと、言い始めました。そこで、「みんなで調べて、後から給食の先生に正解かどうか聞いてみれば。」と声をかけると、みんなでじっくり見たり、味わったり、なかにはにおいをかいだりといろいろと調べ、「ジャガイモ、ニンジン、ピーマン、これはお肉かな?シーチキンかな?あっ!タマネギも入ってる。」とさかんに言い合っていました。ごちそうさまを済ませて、調理員に聞きに行ってみると子どもたちの答えはほぼ正解。よくわかったな。と感心していると、「何で味付けをしたでしょう?」と調理員、そこまではわからないでしょうと思っていると、子どもは「塩、醤油」と答えていました。知っている調味料の名前を言ってみただけかもしれませんが、両方とも正解。その他にはウスターソースも入っていたようです。

調理員が、食材を活かし子どもたちにできるだけおいしい食べさせてあげたいと努力し、子どもたちがおいしく食べ、食材に興味を持つ。子どもも調理員もそして食材も、みんなのいのちが輝いていると感じました。

保育見学

2011/10/01

スリランカの舞踊を通してより近くなれたところで、スリランカの皆様には2グループに分かれて保育に参加していただきました。その日の保育は、2歳と3歳が室内でリズム遊び、4歳と5歳が向かいの山へ散歩です。

向かいの山は薬王坂、薬王峠と呼ばれる山越えの道があります。その昔、伝教大師最澄がこの坂を越えて比叡山に向かわれ、その際に薬師如来を刻まれたとか、山を越えてゆかれる伝教大師様の後ろ姿が薬師如来のようだったとかいわれていることからこの名がついたそうです。この峠を越えると静原というところで、昔は鞍馬静原間の行き来はこの峠を通っていました。現在ではトレッキングコースの一部となっていて、トレッキングを楽しむ人がよく歩いています。

どっちの道から行こうか・・・

子どもたちは、山の中腹にお祀りしてあるお地蔵様にお参りをしようといって、出発しました。山道はところどころ石がごろごろしているので、決して歩きやすいというわけではありません。子どもたちは慣れたもので、早い子はどんどん登ってゆきます。ゆっくり歩く子は道ばたの蜘蛛の巣に見入ったり、ドングリを拾ったりしながら歩きます。途中で先頭が止まって待っているのでどうするのかと思ったら、木につかまりながらでないと登れなかったり、枝をくぐったりする道なき道コースで行くのか、普通の道で行くのかを相談して決めようということでした。子どもたちは道なき道コースを選びました。チャンダシリ師の履き物がしっかりしたものではなかったので心配になり、普通の道で行きますかと尋ねると、子どもたちと一緒に行きたいおっしゃってくださり、まるで登山のような散歩に同行してくださいました。歩きながらも子どもたちの姿にしきりに感心していらっしゃったので、スリランカでは山に入ったりすることはないのかと聞くと、コブラがいて危ないからできないとのことでした。

やわらかいね!

山腹のお地蔵様までたどり着き、お参りを済ませて近くでそれぞれに遊びました。苔の感触を楽しむ子、倒木の皮をはいで中になにかいないか探す子、きのこを見つけている子、子どもたちは何かしら自分で遊びを見つけて様々に楽しんでいます。やはり自然の中では子どもたちはいきいきとします。

真っ青な空からは柔らかくなった秋の光が降り注いでやさしい木漏れ日を作り、涼しくさわやかな風が通り過ぎ、自分自身も優しい気持ちになれました。帰り道、普段はおとなしくてあまり話さない女の子が、ひっきりなしに私に話しかけてきます。山は人の心を開くのかもしれません。

スリランカの皆さんは、まさかこんな散歩だとは思っていらっしゃらなかったので、さぞかし驚かれたのではないかと思いますが、園に帰ってチャンダシリ師に感想を伺うと、とても良かった、すばらしかったと繰り返していらっしゃいました。なにか感じていただけるところがあったのだと思います。

異文化交流

2011/09/30

スリランカの先生の研修2日目は実際の保育を見学していただきました。朝、園の玄関前でチャンダシリ師と話をしていると、子どもたちを送ってこられた保護者が、口々に「昨日はありがとうございました。」といって通っていかれます。子どもたちが家でスリランカ舞踊のことを話していたようです。

中には、子どもがスリランカ舞踊を習いたがっていたと話される保護者もいらっしゃり、子どもたちにとって印象深いものになったことをうれしく思いました。同時に、それなら少しだけでも教えてもらえれば、子どもたちの興味関心もより深まるのではないかと思い、基本的な動作をいくつか子どもたちに教えていただくようチャンダシリ師にお願いすると、快諾していただきました。

スリランカ舞踊を体験する子どもたち

朝のお参りの後のお集まりの時間に、子どもも職員もスリランカの皆様もみんなでもう一度自己紹介をしましてからスリランカの皆さんと子どもたちが向かい合って、基本的な動作を教えていただきました。スリランカ舞踊の練習をする前には必ず行うという、神仏に祈りを捧げる動作からはじまり、数種の動きを教えていただきました。子どもたちは動作をひとつ教えてもらうたびに少しずつ前に行って、最初2メートルくらいあったスリランカの皆様との距離が、終わる頃には握手ができるくらいまで近づいていました。子どもたちは楽しくて知らず知らずのうちに前に出て行ったのでしょうし、それは、心の距離が縮まっていったことを表しているのだと感じました。ただ見せてもらうだけではなく、一緒にやってみるということでより深く交流ができたと思います。それにしても子どもの吸収力はすごいものです。少し習っただけで美しく動いている子が何人かいました。

スリランカ舞踊を通してより深く交流ができたと思います。

こんなふうに大人は(私は?)難しくいいますが、子どもにとっては異文化も何もなく、ごく自然に普通に心を開いて心で受け止めているだけなのでしょう。大人は頭で考え、「異文化」などと分けてみたり、固定概念で物事をとらえがちです。言い換えれば子どもは心を開いて「同じ」を感じ取り、おとなは頭を使って「違い」をとらえるのかもしれません。

固定概念にとらわれ頭の先で「分けて」考えてず、心を開きとらわれない心で「同じ」を見つめられるようになりたいと思います。

保育観

2011/09/29

今年、スリランカから来日され、わたしたちにスリランカ舞踊を披露してくださった方々のほとんどは幼稚園の先生です。皆さんスリランカ日本教育文化センター(SNECC)の里親プログラムや奨学金制度で勉強して学校を卒業し、幼稚園で保育にあたっていらっしゃいます。ですから、今回の来日では訪問先各地の幼稚園での研修がたくさん組み込まれていました。当園にも保育見学などを通して研修をさせてほしいとの依頼があり、受け入れることにしました。

鞍馬でスリランカ舞踊を披露していただく機会は今まで何度もありましたが「保育」で繋がることはなかったので、どのように受け入れるかいろいろと考え、初日の午前中はスリランカ舞踊の披露、午後からは鞍馬山保育園の概要説明と園舎の見学。2日目は実際に子どもたちと活動していただくことにしました。

まず最初に鞍馬山保育園では何を目指して保育しているかを知っていただきたいと思い、

    • 子どもが、自らの意思で自ら行動することを大切にしていること。
    • そのために子どもが自ら環境に関わることができるように配慮していること。
    • 子どもがお互いの違いをわかりあい、認め合い、みんなが楽しく生活できるよう考え行動するのを大切にしていること。
    • なぜなら、将来子どもたちが大人になって社会を支えるときには、みんながお互いに認め合い、それぞれが自分を活かして得意なことで活躍することがみんなのよろこびに繋がる。そんな社会を築いてほしいと思っているからだということ。

などです。

実は、説明がどのくらい伝わるのか少し心配していました。ことばの壁ももちろんですが、スリランカで価値があるとされているところがわたしたちとは異なっているのではないかと想像していたからです。例えば、幼児期から知識をたくさん教え込むことが良いとされているとしたら、わたしたちの言うことはなかなかわかってもらえないのではないかといった心配です。ところが、当園の目指すところや理念を話すと、皆さんとてもよく理解していただいたようでした。とくに、SNECC事務局長のチャンダシリ師は「子どもが自ら育つことを大切にしたい」と考えていらっしゃるということがよくわかりました。1時間近くも話していましたが、私も保育観を共有できて、うれしく思いました。

その後、園舎を見学していただき、0歳1歳2歳の保育室、3歳4歳5歳の保育室をそれぞれの担当保育士が、「子どもたちが主体的に活動できるよう環境を工夫していること」「遊びが選択できる環境を用意していること」を実際の保育室で説明してくれました。細かなところまで配慮をしていて、私も知らないこともたくさんあって驚くとともに、保育士の工夫をもっと知っておく必要があると反省もしました。

見学を終えて、チャンダシリ師が「とても参考になった。今日の見学をヒントにわたしたち自身で工夫して、スリランカに適したことを考えてゆきたい。」とおっしゃっていたのが印象的でした。

チャンダシリ師の挨拶

スリランカ舞踊に見入る子どもたち

スリランカ日本教育文化センター

2011/09/28

9月26日子どもたちがスリランカ舞踊鑑賞会を行いました。ここ何年か秋に行っている行事です。東京スリランカフェスティバルに出演することを主な目的として来日されたスリランカ日本教育文化センター(SNECC)の関係者の皆様が、各地を訪問されるなかで京都にもいらしてくださっています。

SNECCは、社会的、経済的理由で充分な教育を受けることができないスリランカの子どもたちを援助するために日本で里親を募集して、里親の援助を得たスリランカの子どもたちが学校に通うことができるという仕組みを構築して活動を続けてこられました。日本の里親の皆様の善意とスリランカの子どもたち一人ひとりを結ぶ、まさに顔の見えるつながりを作るご縁結びを四半世紀にわたってこつこつと続けてこられたのです。そして、この教育里親奨学金制度を支えるために、今では全国に百十七カ所ものANECCの地域センターがあり、里子の募集や調査をはじめとした支援活動を続けていらっしゃいます。

SNECCの活動はこの教育里親奨学金制度だけにとどまらず、幼児教育開発として全国で十六の幼稚園を運営、医療サービスとして医療費の補助や健康診断の実施、介護訓練、伝染病予防活動、図書サービスでは、地域センターのうちの三十八カ所に図書室を開設、教育サービスとして、学校の授業の補習授業、日曜学校で仏教を学ぶ活動、職業訓練としてのコンピューター教室、そして伝統舞踊や音楽など芸術的な才能を伸ばす取り組み、自然観察プロジェクトでは、環境についての学びを深める活動、などに及んでおり、日々活動の幅を広げ、その内容を深められていらっしゃいます。そして、里子の日本研修旅行や音楽、伝統舞踊を学ぶ子どもたちが、日本で様々な文化活動や交流も行う機会も提供されています。今回のように鞍馬でも何度かスリランカの伝統舞踊を披露していただきました。これらのたくさんの活動を支えているのが、数十にも及ぶ基金です。様々な方の善意をひとつにまとめて大きな基金を作るのではなく、それぞれの基金にすることによって、皆様の善意がどのようなかたちでスリランカの子どもたちの役に立っているのか、実感できるようになっているのです。

日本の支援者の方々は、それぞれに得意分野を活かしてスリランカの子どもたちを支援していらっしゃいます。何人かのグループで幼稚園を建設された方々、医療の知識を活かしてSNECCの医療サービスをサポートしていらっしゃる方、いろいろな方がいらっしゃいます。それぞれが、それぞれのやり方で支援ができるような仕組みになっているのです。日本の人々が、「スリランカの子どもたちの支援」という目標に向かって、自分にできることを自分にできる方法で行なっていらっしゃる。いいかえれば、うまく役割を分担していらっしゃるということです。それをしっかりとマネジメントしていらっしゃるのが今回も来日されたSNECC事務局長のミーガハテンネ・チャンダシリ師です。今回も師をはじめダンサー3名、シンガー1名、通訳としてSNECCの事務局員1名の計6名がいらしてくださいました。

不思議

2011/09/27

ある朝歩いていると、桜の幹にとても小さいけれども輝くような朱色を見つけました。何だろうと思って近づいてみると、体調1センチから2センチの虫がしがみついています。おしりの部分はどっしりとしていて、黒っぽい色に細かな模様がついているのですが、それ以外の頭や足、胴体は美しい朱色をしています。

左:脱皮したての赤 右:普通の黒

しばらく見ていると近くに同じような虫がたくさんいるのに気づきました。仲間の虫たちにすぐに気づかなかったのは、他の虫の頭、足、胴体は黒かったからです。なぜ同じ姿をしている虫なのに一匹だけが美しい朱色をしているのだろうと不思議でした。朝日に照らされ、透明感のある何ともいえない美しい色です。なんの虫かもわからずその場を離れました。

2時間ほどして虫などに詳しい知り合いに会ったので、もう一度一緒に見に行ってみると、あの美しい朱色の虫はいませんでした。その代りほとんど黒に近い赤色のがいます。色が変化したのだと気づきました。

2時間ほどしたら色が濃くなっていました

知り合いにそういうと、これはヨコヅナサシガメという虫で、毛虫などの他の虫を捕まえて体液を吸って生活している。赤かったのは脱皮してすぐだったからだと教えてくれました。

知らないって、怖いですね。事実を知ってみると何でもないことだったりします。突然変異か?新種か?と大げさに考えていた自分が可笑しくなりました。

でも、朱色の美しさといい、2時間ほどで色が変わることといい、自然の営みの美しさと不思議さを思いました。

スクロール