園長ブログ

偶有性

2012/08/16

未来を創造する存在である子どもたちが、どんな力を身につけると良いのか、どう育つと良いのかは、常に私の頭な中のどこかにあります。というより、いつも考えていることのかなりの部分を占めています。ですから『プレジデント』(2012.4.16号)の茂木健一郎氏と津坂純氏との対談に興味をもちました。

教える側から教えられる側へと一方通行で知識を伝える教育か、対話をしながらより良い結論に至るプロセスを大切にする教育か。もちろん学ぶ内容によって方法はいろいろあって良いと思いますし、どちらか一方だけが良くて、もう一方は良くないという気も全くありません。しかし、結果や正解を覚え込むだけではなく、多くの人と意見を交換しあってより良い答えに向かうという要素が多い方が良いように思います。特に現在のような、今までの価値観だけでは時代の変化に対応できにくくなっている転換期には、対話することが大切になってくると考えます。

変化の時代、転換の時代の要素の一つとしてインターネットがありますが、茂木健一郎氏はインターネットの本質を「contingency(偶有性)」という言葉を使って表し「必然と偶然が混ざり合う状態」「規則性はあるが、ランダムな要素もあるため、何が起きるのかわからない」と説明したうえで、「正解を覚え込ませる教育は偶有生を扱えない。」としています。

私には「偶有性」の意味が正確にはわからないのですが、予測することが難しい偶発性や偶然性に近い意味としてとらえました。茂木健一郎氏は、「クオリア日記」というご自身のブログの中で、「偶有性」について記していらっしゃいます。それを読むと、遠いところで起こっている自分の周りにはまったく関係もなさそうな現象が、実は様々に響き合って影響を及ぼしてくる。この遠くで起こっていることが、どんな形で、身近なことに影響してくるかは予測し難いという意味に解釈できるように思います。少し長くなりますが、茂木健一郎氏のクオリア日記 必然化する偶有性より、引用してみようと思います。

偶有性に向き合うことは、人間の脳の本来の働きに適う。もともと、脳の中の神経ネットワークの性質は、数個のシナプスを通してすべてのニューロンどうしが結び合う「スモール・ワールド・ネットワーク」性を持っていると考えられている。「スモール・ワールド・ネットワーク」においては、局所的な計算に加えて、遠くの回路どうしを結ぶ情報伝達も重要な意味を持つ。局所的な計算に比べて、遠くの回路で行われている計算は予測可能性が低い。

脳は、もともと、容易には予想できない要素が本質的な役割を果たすという「偶有性」を前提にその動作が設計されている。そのことは、認識のメカニズムや、意識と無意識の関係、記憶の定着や想起などのプロセスに反映されている。偶有性に適応するからこそ、脳は創造的であり得る。グローバル化に伴う「偶有性」の増大に適応することは、脳本来の潜在的力を発揮することに、必ず資するはずなのである。『クオリア日記 必然化する偶有性』より

どのように感じますか?

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