写経会は如法写経とか如法経といわれ、平安時代後期ごろから宮中を中心に行われていたという記録が『門葉記』などにあります。慈覚大師円仁が比叡山の横川で法華経を書写したことがその始めだといわれていますが、慈覚大師が一定の法式を定められたわけではないようです。
『門葉記』には如法経の法要の様子がとても詳しく書かれていますが、必ず「法華懺法」という懺悔の行を21日間行ってから写経をしています。その中心は、自己の犯した罪を発露、懺悔することで、眼・耳・鼻・舌・身・意の六根にを清浄にするということです。心身の清浄を得て写経を行ったのです。
現在では21日間に及ぶ法華懺法を行うことは難しいので、法華懺法は朝座のお勤めで唱えています。
現在行っている写経の方法は、手書きで書かれた妙法蓮華経八巻と版木で刷られた無量義経、観普賢菩薩行法経各一巻を、細かく分冊にしたものをお手本にし、そのお手本を見て経文を写経用紙に丁寧に書き写してゆきます。ですから、お経のどの部分を書写することになるのかはその時になってみないとわかりません。特に2冊目以降は、どこのどんな部分を写すことになるのか楽しみです。
私は、書写するのが余り早くないのですが、あまり悠長に書いているわけにもゆかず、かといって急ぎすぎて雑になるのも困ります。今年はいつもより丁寧に書写することに重点を置いてみました。ところが、使われている漢字が旧漢字なので画数が多く書きにくいのです。例えば「観」は「觀」「乗」は「乘」だったりします。もっと画数の多い字もたくさんあります。ですからうまく筆先を整えないとすぐに字が潰れてしまうのです。でも調子がつかめてくると、気持ちよくかけるようになります。私は字が下手なので、決してきれいには書けませんが・・・
2日目の午後の後半に私のところにやってきたのは『観普賢菩薩行法経』の終わりの方の部分でした。三分の二くらい書き終わったところで、他の人はほとんどの人が書き終えて、私が書き終えるのを待ていらっしゃることが、顔を上げて見なくても感じられます。ちょっと焦りましたが、あまり雑にならないよう一生懸命書いたらとても集中できました。お経の内容が舌根の罪障を発露して懺悔することだったのを良く覚えています。
意味は違いますが、我欲を張って自分の言いたいことばかり言うのは慎みなさいとい教えられているように感じました。今まで以上に人の話を傾聴することに力を注ごうと思います。