食育としての栽培活動はもちろんですが、作物を育てることで「いのち」のめぐりを感じて欲しいと思って始めた種作りがいろいろなことを教えてくれています。
一般に流通している種や、作物は交配を繰り返して、商品として都合の良い性質ばかりを詰め込んで、人間が作ったものであり、ほとんど種が取れないということを知りました。考えてみると、とても不自然な気がします。生物は自分の遺伝子をつないでゆこううとするので、子孫を残す戦略をとるのが自然なはずなのに、それとは全く逆になってしまっているのです。これで良いのでしょうか?
作物の育て方にしても、いろいろな方法があるものです。きれいに土を耕して種を蒔き、水をやって芽が出たら、肥料をやったり、虫がつかないようにしたり、他の草が生えてきたら草取りをしたり、とたくさん手をかけてあげなくてはならない。たくさんのことをやってあげないといけないというイメージを持っていました。
しかし、今挑戦している自然農法は、作物が自然に育つのに任せるので、世話はほとんどしません。植えるときも畑を耕すことはせずに、水はけのための溝を少し切るだけです。栽培中も水はやりませんし、雑草と言われる他の草も引き抜くことはありません。もちろん肥料もあげませんし、消毒もしません。まさに自然に育つのに任せるのです。言い換えれば作物が自分で育ってゆく事を信じて、見守るしかありません。水をやってしまうとずっと水をやり続けないといけなくなるそうです。手をかけると、ずっと手をかけ続けなくてはならなくなるそうです。
できることといえば、毎日、畑に行って作物たちに「おはよう!今日も元気?」「大きく育つんだよ!」と励ますことくらいです。たまにすることといえば、他の草が大きくなりすぎたら少し背を低くしたり、トマトが地を這っていたら、支柱を立てたりくらいのことでしょうか。
それなのに、畑に様子を見に行くと、どうしてもなにかしてしまいそうになります。何かお世話をしたくなってしまいます。そうです!作物が求めているかどうか。それが作物にとって、作物が自分の力で育つのにとって、大きなつながりまですべてを見据えたうえで最良のことなのかを考えることもせずに、自分のやりたいと思う心に流されて何かをしたくなってしまうのです。
「余計なお世話」をしたくなる、自分のわがままな心に打ち勝つのが大変です。