ひとことで「教育」といいますが、その形は様々です。時には一斉に同じことを教え込むことが必要な場合もありますし、特定の技能や知識を習得させることが大切な場合もあります。しかし、乳幼児については一方的に教え込んだり、おとなが思うように動かしたりしようとするのは、適当ではないように思います。
なぜなら、乳幼児の時期こそ自ら主体的に活動すること、学ぶこと、他の人と関わることなどを遊びという経験を通して学ぶときだからです。経験を通して学ぶためには子どもが主体的に環境に関わってゆくことが重要です。
その前提として、「養護」といわれるように「生命の保持と情緒の安定」がないことには積極的に外界に関わろうという気持ちは生まれてきません。それこそ大人が保証すべきことでしょう。ここにいれば、自分は自分のままで大丈夫。どんなことがあっても受けとめてもらえるという安心が大切です。そういう基礎があるからこそ、探求心を存分に発揮して様々な環境に興味、意欲、関心をもって、主体的かつ積極的に関わってゆくことができるのです。
子どもたちにとって一番大切なこと。それは、一人ひとりの子どもが、しっかりと発達を遂げるということです。一人ひとりの子どもの発達にとって今、何が一番必要なのかはそれぞれ異なります。それなのに大人の都合だけで子どもを十把一絡げにして、同じことをやらせていては、その子の最大限の発達を保証することはできないのです。
英語に Education ということばがあり、教育と訳されています。この Education の語源はラテン語で「外に導き出す」という意味の語だそうです。つまり、人の持つ様々な能力を引き出すことです。乳幼児期の教育は一人ひとり異なる子どもの力を最大限に引き出すことが大切なのです。子どもが自分の力を最大限に発揮できるような機会を用意する。時には誘ったり、少し背中を押してあげたりすることが私たちの役目です。
鞭打って強制するのではない、子どもたちが持っているものを引き出す、というより子どもたちが自分を発揮して、自らいきいきと育ってゆく、興味、関心、意欲を発揮して主体的に環境に関わることができること、それが乳幼児期に必要な教育だと思います。
このことで、子どもたちは自ら学んでゆくことや、自らの興味関心を原動力として探求してゆくことの楽しさを経験します。その経験こそが基礎になり、のちに学校で知識を身につけるとき、大人になって様々な困難に立ち向かってゆくときに必要になってくることなのではないのでしょうか。