思いがけず、教育フェスタの分科会で話をすることになり、どんな内容にしようかといろいろ考えました。私が話せることといったら、子どもが育つことについて普段考えていることと、子どもたちの園での様子しかありません。しかし、いざ伝えようとすると、何をどんな風に伝えると良いのかということは難しいものです。特に話をするのがあまり得意でない者としてはなおさらです。
講演などを聞きに行くと、何も見ずにスラスラと、しかもわかりやすく話をされる方がいらっしゃいますが、そういう方はきっと豊富な知識に加え、深い実践を積んでいらっしゃるのだと思います。実践を通してこそ理論が実際に自分の感覚となり、実践が理論を作り上げるので、聞く人の心に訴えかける話になるのだと思います。
さて、教育フェスタというくらいなので、教育ということを考えなくては、と思いましたが、そもそも教育って何でしょう。広辞苑には「教え育てること。望ましい知識・技能・規範などの学習を促進する意図的な働きかけの諸活動」とあります。
保育士に「教育って何?」と聞いてみました。「学校で机を並べて勉強するちょっと窮屈な感じ、勉強しなくてはならないというイメージかなー」という答えが返ってきました。別の保育士からは「きょういく っていうと共育だと思う」というかっこいい答えも返ってきました。私も「教育」と聞くと、どうもやらされ感が強いイメージです。
教育、教育というと、「保育園なのに教育?」ということばが聞こえてきそうです。どうもそんなイメージがあるようです。保育園は子どもをお世話するところ、幼稚園は教育するところという感じでしょうか。それとも0・1・2歳児はお世話で、3・4・5歳児が教育というイメージでしょうか。
保育所保育指針の総則には「養護と教育が一体となって、豊かな人間性を持った子どもを育成するところに保育所における保育の特性がある。」とあります。
養護とは、情緒の安定と、生命の保持といわれるように、子どもが安定した生活を送るために必要な基礎的事項なのです。0歳であれ6歳であれ、全ての子どもに必要な、まさに基本的な事項です。
そして、教育というと、当園の保育士のもったイメージのようにどうしても学校教育を想像してしまうのですが、学校教育の前倒しではなく、特定の技能や知識の習得に偏るのでもなく、「子どもが健やかに成長し、その活動が豊かに展開されるための発達の援助」なのです。様々な環境を通して子どもが主体的に発達することを援助することなのです。
決して、知識や技能を一方的に教え込むのではないのですね。