子どもの興味関心はそれぞれの子どもによって異なり、それぞれの興味関心に応じて子どもが熱中して取り組むということは、様々な物事のなかから、自分の好きなもの(それはその子の発達にとって必要なものなのですが)を自ら選び取って行うからこそできるのです。その中から、喜びを持って問題を自ら解決しようと挑戦する意欲が生まれてきます。ですから、保育者もいつも同じことを一斉にさせようとするのではなくて、一人ひとりの意欲に注目してゆく方が良いということを何回かにわたって書いてきました。
言い換えれば、一人ひとりの個性が輝くことが大切だということです。そう言うと、そんなことをしていると子どもがわがままになって、周りのことも考えずに自分の好きなことばかりやるようになってしまうのではないか、それぞれが勝手なことをしてバラバラになり集団ができなくなってしまうのではないかという声が聞こえてきそうです。
果たしてそうでしょうか。誰かが自分のやりたいことが自由にできるということはそのまま、他の誰かもその人のやりたいことを自由にできるということです。ですから、他の人の自由も保証するためには、自分の自由を制限する必要もあります。そこで、相手にお願いしたり、譲り合ったりすることが必要になってきます。その前提として話し合うこと、想いを伝えること、相手を受け止めることがなくてはなりません。つまり、コミュニケーションを深めることが必要です。
大人でもかなり意識し、努力してこれをやるようにしないと、コミュニケーション不足になって思わぬ誤解や、思いのすれ違いが生まれ、トラブルの原因となったりします。ですから、子どもの時に心を開いて話し合うこと、素直な心で自分の想いを伝えること、相手を受けとめることが楽しいと感じられる経験をする方が良いと思います。
大人が、子どもをダメダメと叱ってばかりいると、子どもも他の子どもに対して同じように禁止したり否定したりすることが多くなります。最初から強い口調で否定されたら、心を開いて話し合うことなんかできなくなってしまいます。子どものお手本としても、自分勝手な主張ばかりするのではなく、大人が自ら意識して、心を開き、相手を認め、素直な心で想いを伝え、コミュニケーションを深める必要があります。
それなら、子どもがそれぞれに好きなことをしていてはもっとコミュニケーションがとれなくなるという考えもあるでしょう。しかし、ある子どもが、興味関心のあることを見つけて、熱中して取り組んでいる姿は他の子どもを惹きつけます。一緒にやらせてと遊びに加わったり、どうすればできるのとたずねてみたりしながら、コミュニケーションを深めてゆきます。そうやって、友達と意見を交わしながら、力を合わせてなにかの課題に取り組むということを自然に行ってゆくのです。
先日も園庭の築山から水を流したり、ダムを造って水をせき止めたりしていましたが、何人かの子どもがああでもないこうでもないといいながら、工夫してダムを造ったり、水路を作ったりしていました。こういうところでこそコミュニケーション能力と、問題解決能力が高まるのだと思います。
つまり、子ども一人ひとりが興味・関心・熱中を中心としたその子らしい参加をすることが学びの場となりますし、チャレンジするところからコミュニケーションが生まれて豊かになり、子どもが集団の一員として育ってゆくのです。