『あやもよう』という機関誌があります。先日から紹介している子どもと生活文化協会が発行していらっしゃる機関誌です。机の上にあった『あやもよう』の平成23年秋号が、ふと目にとまり開いてみました。巻頭言に「やらされ感のない気持ちよい生活」という記事があり、読み返してみました。
私が参加した「生活体験合宿」の場となった市間寮での生活は様々なところに「やらされ感のない生活」の工夫が凝らされています。生活の日課の中に作業の時間があり、これは他の日課と違って唯一「やらないという」自由が認められないものなのだそうです。それは、薪割り、草刈り、畑作業、買い出しなど生活をするうえでやらなくてはならないことだからです。そんな場合は、いくつかのやらなくてはならないことの中から一つを選んでやることになっているそうです。そういえば、私が体験したときも、調理か掃除かなどと参加者が自分で選ぶようになっていました。
他の日課を行う場合でも、必ず「他にやりたいことがある人は?」という呼びかけをして、自由を認める工夫をされているそうです。
どの作業を行うかを決めるときには、子どもが、できる力をつけていることを認めてあげさえすれば、その子がその仕事ができることを誇りに思い、そして自らがやりたい、やらせてもらいたいと積極的になり、やらされ感など持つことはないのだそうです。
当園でも、子ども自身が選ぶことを大切にしています。「みんながやることをやらないのはダメ!ずるい!」などと言ってしまいそうになりますが、それでは子どもはやらされ感100%になってしまいます。「やらされてやる。」方向を変えて言えば「やらされないとできない。」そんな子どもになってほしくはありません。
30年くらい前の「はじめ塾」の合宿では、高校生や大学生が、中間指導者で「どうしたら下級生たちにやらされ感を持たせないですむか」が課題だったそうです。未熟な指導者たちは、なかなか言うことを聞いてくれない下級生を怒鳴ったりしたそうですが、そんなときには創始者の先生から「どうしたら下級生が気持ちよくやれるようになるか知恵を働かせなさい。」と言われたそうです。そういわれて、取り組んだことは自分自身が力いっぱいやるということでした。
毎朝、正座をしてから、急な坂を少し登ったところにある神社の掃除をしていましたが、中間指導者たちは、正座をした部屋の後片付けを最後までした後、誰よりも早く神社行って掃除を始めました。
自分自身が力いっぱいやっていれば、言うことは素直に聞き入れてくれるものだと言うことを体験的に知ることが、相手にやらされ感を与えないですむ智恵なのだそうです。
「親の言動一つで、子どもがやらされ感を抱き、不満を持ちながら暮らすのかどうかが決まります。」と巻頭言は結んでありました。ドキッとすることばですね。この「親」をそのまま「保育者」にも「園長」にも置き換えられそうです。