「食べる」ということはとても大切なことです。食べないと自分の命を繋いでゆくことができません。では、人間が食べるということは、生命活動を繋ぐための栄養補給だけすればよいのでしょうか。
人間は社会を作って生きています。そのことによって他の動物とは異なる進化をしてきました。家族は、複数の人が集まって生きる社会の最少単位です。それと同時に共に食べる、共食の単位でもあります。同じものを分かち合って食べることによって家族になり、共同体となったのではないでしょうか。
NHKスペシャル「ヒューマン なぜ人間になれたのか第3集 大地に種を蒔いたとき」を見ていて驚いたことがありました。狩猟採集生活から農耕定住生活へと移ってから、人間同士の争い、戦争が頻繁に起こるようになったというのです。狩猟採集生活では、獲物を追って移動することが基本だったので、それほどぶつかることはなかったのですが、農耕をして定住するようになると、農地を奪われることがそのまま死につながるので、農地は死守しなくてはならなかった。だから周辺の村との争いが起こったというのです。しかし、常に隣人と争い緊張関係にいるだけでは大変なので、緊張を緩和する方法がとられました。それは緊張対立関係にある異なる部族が共に儀式を行い、貴重な食べ物、ご馳走を分かち合うことだったのです。パプアニューギニアの山奥、マルケ村の人々は原始的な農耕による自給自足の穏やかな生活をしていますが、数年に一度隣のポカリ村の人たちと争うことがあるそうです。
しかし、ちょっとした争いがあったとき、結婚式などの祝い事があるとき、対立する隣村の人たちと貴重な豚を分け合ってみんなで食べます。「そうすると仲良くなれる。我々は仲間だという気持ちになれる。」というのです。儀式におけるご馳走が争いを避ける切り札だったと番組は結んでいました。もちろんそこには共に食べることが含まれているのです。人間が「食べる」ということの持つ、ただの栄養補給を超えた意味の深さと重要性が表れているのではないでしょうか。
その他にも、食べることには文化の伝承、心の交流など重要な意味を持っています。特に子どもたちが育つ過程で様々な人と食卓を囲み、食事を共にすることが大切なのです。
そこで、考えるのが、みんなで共に何を食べるかということです。
*この記事は5月5日分です。アップし忘れていて、気がついたら日が変わっていました。ごめんなさい。