園長ブログ

保育する

2012/04/16

保育するとはどういうことでしょうか。子どもを育てることでしょうか。それなら、子どもは育てられる存在なのでしょうか。育つ存在なのでしょうか。もちろん育ち育てられる相互関係なのだとは思います。では、主役は誰でしょうか。それは自分に必要なことを学び自ら育ってゆく子どものはずです。

学校は子どもたちの全人格的な発達成長を促す場ですが、どちらかというと多くの知識を習得すること、先生が生徒に知識を伝えることが大きな目標となっているのではないのでしょうか。学校の教室は、黒板の前に立った先生の声が一番後ろに座る子にも届き、ある程度まとまった数のこどもたちに知識を伝えるのにちょうど良い広さと形になっていると聞いたことがあります。先生が教えなければならない内容をどう子どもたちに、どうわからせるかを計画して授業をします。そう、授業なのです。先生が生徒に授けるのです。当然、子どもたちは先生から知識を受け取ることが主になります。

では、保育園では何が大切なのでしょうか。それは遊びを中心とした生活だと思います。子どもが自ら生活の主役となること。自ら育ってゆくことです。そのために大人がするべきこと。それは、子どもたちができるだけ自ら考え、自らの意思で行動できるように環境を整えてあげることです。主役である子どもが、思う存分自分を発揮して自ら育つことをそっと支えてあげれば良いのです。

学校の真似をして知識を子どもに伝えることが最も重要だと思ったり、こどもにはいろいろなことを教え込まなくてはいけない。と言う思いが強すぎたりして、何かを「させる」こと、禁止することが多くなることがあります。しかもそれは子どもが決めるのではなく、大人の都合だけで決めてしまうのです。これでは大人主体です。

ついついやってしまうのが、「びびらしてなんぼ!」です。「洋服を片付けなかったら先生がもらっちゃうよ」そういうと、子どもは大切な洋服を取られては大変だと「びびって」片付けます。でもそれは、「片付けた方が大切な洋服がなくなることもないし、他の人の邪魔にもならないから片付けよう」と子どもが自ら考え、自分の意思で行動しているのではないのです。ですから、何度でも洋服を片付けないということを繰り返します。子どもが自ら洋服を片付けるようになって欲しいならそうなるような接し方をすれば良いだけではないでしょうか。

ついつい「これしなさい!」「それしちゃだめ!」と命令して子どもを動かそうとします。大人が命令して、動かすことが、保育だと勘違いしてしまいがちですが、そうすることで、子どものどんな部分が育つのでしょうか・・・

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