「大学生数学基本調査」について書いていたら、学力って何だろうと思ってしまいました。学力が低下したといわれると、授業時間を増やして詰め込んだり、競争をさせるという意見が出ます。それは試験で良い点を取るためには有効かもしれません。しかしそれでは、断片的な知識が蓄積されるだけのようにも思います。
学力と何でしょう?
基礎学力といわれる「読み・書き・計算」の能力をしっかりと高めることが最も重要だという考え方と、「関心・意欲・態度」に基づいて「調べる力・対話をする力・まとめる力」を高めることが最も重要だという考え方があります。しかし、これはどちらか一方だけが重要なのでなく、相補的に高め合ってゆく要素だと思います。
基礎学力が低下したのであれば、高める方策をとらなくてはなりませんが、なぜ低下したのかをふり返り、明らかにすることなく、こなさなくてはならない量だけ増やしても逆効果にしかならないと思います。
赤ちゃんは「読み・書き・計算」はできませんが、お母さんのおなかの中にいるときから、外の世界と自分を知ろうと手足を動かしています。外界への「関心」と知ろうとする「意欲」は生まれながらにして持っているのです。そして生まれてからは様々な環境に自ら働きかけ、環境との相互作用を通して発達してゆくのです。その源となるのが、探求心です。「なんだろう?さわってみたいな。」「どうなっているのだろう?中を見てみたいな。」そしてさわってみたら、重たかった、かたかった、でこぼこしていた。おもしろい!中を見てみたら不思議な物がいっぱい入っていた。とてもきれいな色をしていた。あっちにあるのも見てみたい!そんな、探求心を抱き、それが満たされ、また次の探求心へと結びついてゆく。そんな巡りを大切にしたいと思います。
発達の過程で文字や数に対する興味関心芽生え、「知りたい」という意欲が湧いて知ろうとするのです。学校における学びでも、子どもが自ら学ぼうとする意欲を高めることが必要なのだと思います。
乳幼児の間に、子どもの興味関心を無視して大人の都合で大人のさせたいようにさせてばかりいては、この探求心は育ちにくいですし、知ろうとする意欲もなくしてしまいます。学力低下はもしかしたら乳幼児教育の問題かもしれません。
学力をいうときに、「子どもがどんな力をつけることが望ましいのか」ということを議論しないままでは、授業時間数ばかり増やしても、現場の先生は混乱するし、一番迷惑するのは子どもたちです。
私は子どもたちが、より良く生き、お互いに認め合い、それぞれがよいところを活かすことができる。そんな未来を築いて欲しいと思っています。