終戦記念日に戦争について考えてみました。
以前、NHKの番組で、あるアメリカ人ジャーナリストが、沖縄戦を経験した自分の父親が戦争中沖縄で多くの日本人を殺したと告白し、沖縄から持ち帰った日本人の遺品を遺族に返してほしいと言い残して他界したことをきっかけに、沖縄戦の証言を集めるという活動を紹介していました。父親と同じ部隊に所属していた人を全米中探して話を聞き、遺品を遺族に返そうと沖縄に渡って日本人からも沖縄戦の話を聞くという内容でした。第一戦で戦ったアメリカの兵士も多くの人が命を落とし、たとえ生き残っても深く傷つき生涯大きな苦しみを背負っていたのです。
自分自身や家族、友人が傷つけられ、いのちを奪われることは大変な苦しみでしょう。それと同じように、傷つけ、いのちを奪わざるを得なかった人も大変な苦しみを一生背負って生きてゆかなくてはならないのです。勝っても負けてもみんな傷つき苦しむのです。それなのにどうして戦争はなくならないのでしょうか。だれも喜ぶ人はいないはずなのにどうしてこんなことが繰り返されるのでしょうか。
人間の歴史は戦争の歴史かもしれません。争うことは人間の悲しい性なのでしょうか・・・
戦争で傷つくのは人間だけではありません。戦争は最大の環境破壊といわれるように、人間の身勝手な行為のために、多くの他の生き物も犠牲になります。
そんな戦争をしなくてもすむように、私たちには何ができるのでしょう。
私たちの中にある、恨みや憎しみ、地獄、餓鬼、畜生、修羅の心が争いを生むのかもしれません。
自分の心のなかから恨みや憎しみの心がなくならないとしても、それが燃え上がらないように、その心に支配されないように自分自身を律すること。
他の人を否定したり排除しようとするのではなく、お互いに信じ合い理解しようと努力し、目標に向けて力を合わせて一緒に取り組む、そのことに喜びを感じられるようになること。
そんなに単純ではないかもしれませんが、大切なことではないでしょうか。
子どもたちも同様です。お互いに認め合い、信じ合い、冷静に意見を交わし、力を合わせる。そのことが楽しく、うれしいと感じられる。問題を暴力で解決するのではなく、協力して解決するのが当然で楽しい。そんな経験をたくさんして、それが当たり前という環境で育つことです。
そして大切なのは、それを大人がやらせるのではなく、子どもが自らそうしたくなるような環境を整えておくことと、子どもにそうさせたいなら、まず大人自身が努力し、実践すること。自分の心に負けないように。