「心をみがく集い」という活動があります。お寺が行っている活動で、地域の方、ご縁のある方、職員さんが華道、茶道、書道、水墨画などの文化的な活動を通して、いろいろな面で自分自身を高めてゆく機会を提供するものです。
保育園の職員も参加できますが、みんな忙しいのか現在参加しているのは、私と主任保育士だけです。そのなかに華道があります。お稽古は毎月2回あり、1回が約30分から1時間弱、その日の花材にあわせて華器を選んで華を活けます。
活け方の基本的な形や、配置はありますが、自然の花や木はそれぞれに違う形をしています。同じ花材でもひとつひとつ異なるので、種類や形の材料があるのかを見て、活ける姿を決めなくてはなりません。1本の枝でも途中で切って2本にして使うこともできます。どの花材をどう使うとその花材が一番活きるのか、全体の中でその良さを発揮できるのかを自分の感性をフルに使ってイメージしなくてはなりません。
千利休が説いた茶の湯の心得に利休七則というのがあります。その中に「花は野にあるように」というのがあり、それは、花をとってきてそのまま活ければ良いというのではなく、一輪の花に自然のなかで精一杯咲く花のいのちの尊さを感じて表す事だといわれています。私は、花を活けるときに一輪の花のいのちが、他の花や木との関係の中でいかに輝くか、その花がその花にしかできない役割を最大に果たせるにはどうするか、活ける人が心を使って想う事が大切なのだと解釈しています。
いろいろな種類の木や花がひとつの華器のなかで、それぞれに輝くからこそ、全体が美しく輝くことができるのです。人も同じではないのでしょうか。集団の中の個が輝くからこそ、その集団が輝くのです。人の場合には集団を構成する個がそれぞれにお互いを活かし合うことができます。そうするよう一人ひとりが意識し努力すれば良いのです。
お稽古をする中で、何をどこにどう活ければ良いのかわからなくなることがあります。そんなときは、花に「どう活けて欲しい」と聞くのですが、花の声が聞こえるはずもありません。苦心して活け上げても、どこか落ち着かない感じがします。そんなとき先生に見ていただいて、ほんの少し直していただくと見違えるようになるのが不思議です。花の向き、位置、角度をほんの少し変えただけで、全体のまとまり感や落ち着き感が全く異なるのです。先生には花の気持ちがわかるのではないかと思ってしまいます。
一輪一輪をよく見て、どうすればその一輪のいのちが最も輝くのか、よく考えたいと思います。