東日本大震災による津波から避難した釜石市の小中学生について書きましたが、前回あげた例以外にも祖母と自宅にいた小学生が祖母を介助しながら避難していたり、指定避難所の公園にいた小学生が津波の勢いの強さをみてさらに高台に避難するなどしていました。ここでも1. 想定にとらわれない 2. 最善を尽くす 3. 率先して避難するの「避難3原則」が生かされていたようです。
このようなことができた背景には、釜石市の教育委員会が、小中学生を対象に実践的な防災教育を実施し、授業で津波の怖さを学ぶ。災害時の危険箇所や避難場所を自分で書き込んだ地図を子どもが作成する。帰宅途中に地震が起きたと想定して、どこが安全か、津波の際はどこに逃げるかを子どもたちが考えるようにする。ことを続けてきたことがあります。授業で津波の怖さを学んだ子どもたちが、地図作りや避難訓練を通して、自ら考え、判断して行動する環境が用意されていたからこそ、いざというときに子どもたちが自ら動くことができたのです。
この自ら考え、判断して行動することは、なにも避難行動にだけ必要なことではありません。普段の生活のなかでこそ、子どもが自分で考え、判断して行動する力を養っておく必要があるのだと思います。津波は来なくても、これからの人生で襲いかかってく困難を乗り越えてより良く生きるためにも、子どもが主体的に考え、判断し行動する力こそが今、最も大切にするべきことではないでしょうか。ですから、毎日の生活の中で、大人が指示しすぎるのではなく、子どもが自ら考え、判断して行動する環境を用意しておくことべきなのです。当園でもそういった環境をもっと整えてゆきたいと考えています。
もともと三陸海岸地方には、津波が襲ったときに家族がてんでんばらばらに逃げろ。生きていればきっと会える。という「津波てんでんこ」の教えが語り継がれていました。それは、一人一人が自分の命に責任を持つことと、そのうえで、家族がお互いを信じ合うことの大切さを教えてくれているのだと思います。「きっとうちの子は無事に避難している」と信じることなしには、てんでばらばらに避難することは難しいのではないでしょうか。
この、子どもを信じ切ることの大切さも「釜石の奇跡」から学ぶべきことだと思いました。子どもは発達の過程で、こうなりたい自分と、そうできないでいる自分の間で揺れ動き葛藤し、その壁を乗り越えようとしています。そんなときに側にいる大人が、その子のできないでいる部分ばかりに注目してそこばかり指摘していては、子どもは壁を乗り越えるエネルギーを失ってしまいます。かといって大人がわざとらしく勇気づけたり、こうさせようという下心を持って誉めても、子どもはそれをよく感じ取るので、かえって力を奪ってしまいます。「この子はきっと大丈夫!」と信じて、子どもが自らの力で壁を乗り越えるのを見守ることが一番良いのではないでしょうか。
「子どもが主体的に生きること」、「子どもを信じ切ること」の大切さが、防災教育からも見えてきた気がします。