前にも書いたように如法写経会で書写しているのは法華経、無量義経、観普賢菩薩行法経で、中心となるのは法華経です。
法華経には法華経を書写することの功徳を説いている箇所がたくさんありますが、その中の法師品には次のように書かれています。「法華経、もしくはその一句を受け、たもち、読み、誦し、人に説き、書き写し、経巻に華や香、瓔珞・抹香・塗香・焼香・繒蓋・憧旛・衣服・伎楽を供養し、合掌し恭敬する人は如来であり、如来に対するのと同じように尊敬され、如来にするのと同じように供養される。」
つまり、その人はそのまま如来なのです。如来とは仏様のことなので、法華経を受持、読誦、解説、書写し供養する人は、そのまま仏様だというのです。ちなみに十種供養の十種は、この華、香、瓔珞・抹香・塗香・焼香・繒蓋・憧旛・衣服・伎楽によります。この中の繒蓋・憧旛をあわせて旛蓋とし、それに合掌を加えて十種としています。法華経を読んだり書いたりするだけで、仏様?煩悩にまみれ迷ってばかりいるのに仏様なの?と思いますが、私たちの心は様々に変化します。地獄のような恐ろしい心になったり、慈悲深い菩薩様の心になったり、仏様の心になったり。もともと仏様の心を持っているのです。いろいろな刺激をうけて他の心になってしまうこともありますが、もともと仏様の心を持っているのです。ですからもともと仏様なのです。そのことを信じて、他の心になってしまわないよう自分の心を観て自律することが必要なのでしょう。
同じように他の人も仏様の心を持っている仏様なのです。その人の仏様の心を見て信じることができれば、どんなに幸せでしょう。すぐに煩悩に振り回されて、ああすればいいのに!なんでこうしないんだろう?あいつはどうしようもないやつだ。と思ってしまいがちですが、ちゃんとその人の仏様を見ることができれば、ありのままがすばらしいのではないでしょうか。
子どもだって、同じです。ついつい、ああしなさい!こうしなさい!あれはだめ!これはだめ!と気になる(大人が勝手に気にしている)ところだけを見がちですが、その子を信じてよくよく見れば、その子のありのままがすばらしいことに気づけると思います。そしてどうしても必要なときだけ守ってあげれば良いのです。
自分自身、いつもそんな心でいられたら!と思いますが、悲しいかな、なかなかそうはいきません。しかし、いつもその方向を見つめ、目指して努力ゆきたいと思います。