最近、ごみについて考える機会がありました。できるだけ排出するごみを少なくしたいという視点で、何人かの職員と話し合ってみたのです。その中で、そもそも「ごみってなんだろう」という話になりました。
広辞苑には「物の役に立たず、ない方がよいもの。ちり。あくた。ほこり。また、つまらないもの。」とあります。ことばの意味としてはそうなのでしょうけれど、私たちが毎日排出している「ごみ」と呼ばれる物は、「本当に何の役にも立たたず、ない方がよいもの」なのでしょうか。
11月の京都は紅葉の美しさに惹かれていらっしゃる方々であふれます。鞍馬も例外ではありません。保育園があるお寺の境内は、お寺のみなさんがが美しく掃除していらっしゃることもあって、ゴミが少ないと思いますが、ときどき空のペットボトルやお弁当の容器などが、トイレの脇などに置いてあることがあります。ごみといわれるものです。しかし少し考えると、このペットボトルやお弁当の容器は中身が入っているときはとっても重要な役割を果たしていたはずです。持ってきた人ののどの渇きを癒やしたり、空腹を満たすためのお茶やごはんを運んできたのです。物の役に立たないどころか、立派な役割を果たしていたはずです。それなのに、役割が終われば、ポイ!なのでしょうか。
お寺の境内に「ごみ(役目を終えた物)の持ち帰りにご協力ください。」という掲示があります。人であれば誰かが何かの役を果たせば、ありがとうとかご苦労様といって労をねぎらい、またよろしくお願いしますというはずです。ペットボトルだってお弁当容器だって、立派に役割を果たしたはずです。せめて、「お茶やお弁当を運んでくれてありがとう」という心は持ちたいものです。考え方の起点をそこに置けば、ただ、ポイ!と捨てるのではなく、何か次に活きてくれることを考えられるように思います。