園長ブログ

お火焚き

2011/11/05

京都では11月になると、多くの社寺でお火焚祭が行われます。秋の収穫に感謝する収穫祭とも、火によって罪穢を祓う清めの行事とも、太陽の光が弱くなる冬に火を焚いて太陽の生命力の復活を祈る意味を持つともいわれ、庭火を焚いて祝詞があげられたり神楽が舞われます。このお火焚きの炎でみかんを焼いて食べると病気をしないといわれたり、この季節になると、お火焚きまんじゅうという宝珠の模様のついたおまんじゅうがお菓子屋さんの店頭に並んだりします。またこのお火焚祭は「おしたけさん」とよばれ親しまれているとともに、神社だけでなく民間でも広く行われています。

鞍馬地区のお火焚祭は、由岐神社、貴船神社、二ノ瀬のお宮と各地区の神社で行われていますが、各町内でもお火焚きが行われています。今は火を焚くということこそしなくなったものの、町内の各家から宿と呼ばれるその年の担当の家に集まって、皆で町内の安全や各家の安寧をお祈りし、会食や茶話会で親睦を深めるとともに町内の様々なことを話し合う場にもなっています。町内の役職交代の節目となっているところもあります。私の参加させていただいている町内では、皆が集まりやすいお宅が毎年会場を提供してくださっています。その家のお座敷に毘沙門天のお姿の描かれた掛け軸をお祀りし、お正月に供える鏡餅のような紅白のお餅、みかん、柿などをお供えして、皆で般若心経をあげてお祈りをしています。同じ鞍馬の中でも町内によって少しずつ違った方法で行われているようです。

現代の普段の生活の中で、神仏に祈るということが少なくなっているのではないでしょうか。昔から日本人は神仏とともに暮らしていて、様々なことが祈りと繋がっていました。どうしようもない自然の力を畏れ敬い、その中に神を見て謙虚な気持ちで生活していたのです。

もしかするとそういう普段の心がけが、自分自身を見つめ律することにつながるのかもしれません。「誰も見ていなくてもお天道様が見ている」とよくいわれたものです。そんな気持ちを大切にながら毎日を過ごしてゆきたい。普通の生活に残っている伝統行事を通じてそんなことを感じました。

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