園長ブログ

おまつり 3

2015/10/27

鉾と共に移動してきた松明は、次々と山門下の石段に立てられてゆきます。石段から鞍馬街道の一体はまさに火の海です。松明を立てると言うことは、下で支える男たちの頭上から火の粉が降ってくると言うことです。真っ赤に燃えた火の粉が、容赦なく半裸ともいえる男たちの、頭と言わず肩と言わず背中と言わず、降り注ぎます。首から肩は火傷だらけになるようです。

そうやってしばらく立てられ、役目を終えた松明は、順に松明置き場に集められ、そこで燃え上がります。消防団の方々が水をかけてくださるから何とかなりますが、それでも大きな炎が上がります。こうして、火祭は一つのクライマックスを迎えます。

山門前の石段下に立ち並んだ松明がなくなる頃、注連縄が切られ、御神輿の前で本田楽という子どもの田楽が奉納され、祝詞が上げられると、御神輿の渡御が始まります。神輿は動き出す前に左右に激しく揺すられます。そうして、二基の御神輿が一基ずつ山門前から鞍馬街道まで担いで下ろされますが、途中で選ばれた青年が御神輿の前の担い棒にぶら下がり、足を逆さ大の字形に広げる「チョッペンの儀」というのが行われます。御神輿の前の担い棒にぶら下がるのですから、かなり度胸のいることで、鞍馬の成人式の名残だとも言われています。

御神輿の渡御に当たっては、綱方といって御神輿の後ろの担い棒に長い綱がつけられています。由岐神社からの急な坂道を御神輿を担いで下ろしていた頃は、大勢でこの綱を引くことによって、ブレーキの役割を果たしたのです。この綱方は若い女性です。綱方をすると安産の御利益があるともいわれています。また、火祭では鉦と太鼓が重要な役割を果たしますが、これも女性の役割です。
昔から男と女が役割を分担し、生活してきたことの表れなのかもしれません。

20151027_おまつり3_1
20151027_おまつり3_2
20151027_おまつり3_3

スクロール