まず、子どもを信じる事。子どもは大人と同じ一人の人格であるということ、子どもは大人が思っている以上に有能で、自ら育ってゆく力を持っています。その力が発揮できるように適切な環境を整えることが必要なのです。もちろんいろいろなことを教えることも必要ですが、子どもが自ら知りたい、経験したいと思うときでないと子どもの学びは深まりません。だからこそ、探求心を目一杯働かせいろいろなことに興味を持って取り組む経験をたくさんしてほしいと思うのです。
子どもが主体的に、自発的に環境に関わる事が大切なのに、子どもが力を持っていることが信じることができない大人がいることも事実です。子どもに指示して自分が思うように動かそうとする、細かなことまでいちいち指図して、その通りにさせようとする。いわゆる過干渉です。子どものためと思って、いろいろなことをやってあげすぎたり、いちいち指図したりするのでしょうけれど、子どものためといいつつ、実は大人自身の不安解消や精神的な安定のために、子どもを利用していることもあるそうです。つまり、子どもに依存しているのです。親でも保育者でも、気づかないうちにそうなっていないように気をつけなければなりません。
「過干渉」を調べていたら、茂木 健一郎 氏のブログ「クオリア日記」2010年7月20日の記事に「過干渉な日本社会」というのがありました。「人間の脳の情動の回路には、「確実性」と「不確実性」のバランスをとる働きがある。」と始まりますが、確実性とはその人の経験や知識その他によって培われる自信、信念といった確固たる何かと解釈できると思います。自分自身の拠り所といってもよいかもしれません。自分の拠り所としての「確実性」があるあらこそ、何が起こるかわからない外界の「不確実性」に対処することができるという意味だと思います。自分にしっかりとした信念があるからこそ、いろいろなことがやってきても、ブレることなく対応してゆく事ができるのでしょう。
「大人」とは、人生の不確実性に立ち向かうことができるだけの「確実性」を自らの中に蓄積している存在だということができる。
とあります。「確実性」を蓄積できているでしょうか?