秋の光はとてもやさしくて、木々の葉を透かして降り注ぐ日の光は、夏の若々しさとは違ってどこか落ち着いた感じがします。
夏至と秋分では太陽の正中高度が23.4も違います。光の当たる角度が違えば、物の見え方が違うのは当然なのですが、秋は春とはどこか違う落ち着いたやさしさがあります。山や森の中ではそれがとても良く感じられます。
特に秋田健康の森にはやさしさが感じられたので、鞍馬とどこが違うのだろうと考えました。まず大きな違いは、木々の間にクマザサや草がたくさん生えていることです。鞍馬ではほとんどが鹿に食べられてしまい、茶色い地面が露出しています。次に考えたのが、林相の違いです。針葉樹よりも広葉樹が多く、いろいろな種類の樹木や草が生えています。いわゆる雑木林です。杉や檜ばかりが植林された森とは様子が違います。もう一つが、岩や石が少ないことです。鞍馬で良く登る薬王坂は岩や石がごろごろしています。すぐに気がついたのはそんなところですが、どうもそれだけの違いだけではないような気がしながら歩いていました。ふと見ると林道の草が短くなっていたので、鹿に食べられたのだと思って近づいてみました。鹿ではなく人が刈ったようです。そうか!と思いました。佐藤さんが手を入れていらっしゃるのです。それも適度に。これかもしれないと思いました。佐藤さんが気持ちを注ぎ、手間暇かけていらっしゃるからこそこの森が維持され、そのやさしさを保っているのではないかと。
森の保育園を行う前には佐藤さんが必ず事前に調べてくださっていて、「今日は雨が強いから奥までは行かない」「熊が出た形跡があるから、あっちは近づかない方がよい」とアドバイスしてくださると園長先生から聞きました。森を知り尽くして大切に思い、気を掛け手間を掛けている方にしか言えない言葉です。こういう方がいらっしゃるからこそ、この森が維持されているのでしょう。
その佐藤さんが印象的なことをおっしゃっていました。
森にはトイレはないんです。以前は作っていたのですが、管理が大変だったり、動物が近づいてきたりするので撤去しました。そこにトイレがあると思うと、どうしてもそんなものだと思って甘えてしまう。トイレがなければしょうがないから、森で用を足すなど、それなりに対応するしかない。誰かが管理してくれると思うと無責任に使ってしまうんです。子どもも森にはトレがないことを知っていると、大人に言われなくても森に入る前にはトイレに行っておこうと自分で考えます。
この言葉を聞いて考えてしまいました。
今は便利な物がいっぱいあって、あれもこれもと身のまわりに物が増え、かえってそれにとらわれ振り回されている。今まで追求してきた便利や快適だけの価値観を見直す必要があるのではないかと。