獅子は一通り舞うと、子どもたちの頭を噛み始めました。獅子舞の獅子に頭を噛まれるのは、邪気を払う・疫病退治などの意味があり、獅子に頭を噛まれると無病息災でいられると言われています。しゅうめいさんは獅子舞の説明の際に「獅子がみんなの頭を噛みに行きます。そうしたら、頭を出してください。獅子に頭を噛まれる時にはお願い事を一つしてください。」とおっしゃっていました。
獅子は「みんなが幸せになってほしい。みんなに良いことがありますように。」という願いを込めて頭を噛むので、是非その願いを受けとめてほしいということだと思います。そこには「願い」があります。頭を噛んだこの人に良いことがありますように。この人が幸せになりますように。という獅子の願い。どうか無病息災で過ごせますように。幸せになれますように。という噛まれる人の願い。双方の願いが重なり合い響き合い、共鳴して願いの力が強くなり、心に響くのでしょう。
子どもたちの中には、誰に言われたわけでもないのに、獅子を前に合掌して頭を噛まれている子がいました。子どもたちの自然に合掌してしまう、意識しなくてもそうしてしまう姿を見て、その心の素直さに感激し、目頭が熱くなりました。子どもがそんなにも素直な気持ちで頭を噛まれているのに、撮影していたビデオカメラに手をかけたまま、頭を噛まれていた自分自身の姿をとても恥ずかしく思いました。
今回は泣いた子はあまりいませんでしたが、獅子を見て泣く子は大勢いるそうです。泣いて怖がる子どもの頭を獅子に向かって差し出す大人。泣いていやがる子どもを無理矢理獅子に噛ませるなんてかわいそう。という意見もあるかもしれません。でも嫌がる子どもの頭を差し出す大人には、「願い」があります。この子が元気でいられますように。良いことがありますように。という願いがあるのです。しゅうめいさんがおっしゃっていましたが、子どもが泣いてかわいそうだからといって、獅子からかばってしまうと、子どもにとって獅子はただの恐怖の対象でしかあり得ない。子どもにとっては子どもは、「こんなに怖がっている自分の頭を差し出す大人は何を考えているのだ。」という気持ちなのでしょうけれども、そこには大人の「願い」があるので、信頼している大人がすることだから・・・。という気分が醸成されるのかもしれません。
みんなが幸せになってほしい。という獅子の願い。そして、我が子が元気に成長してほしいという親の願い。何だかわからないし、どうしようもなく怖いけれど、でも何か意味があるんだと身体で感じる子どもの気分が三つどもえになって、みんなが良くなれる。そう感じた獅子舞でした。