オランダの認知症施策についてほんの少し知るなかで、認知症になった人をケアする制度が、本人の希望を最大限に優先し、介護者である家族も同時に支援してゆく、そのことでみんなが安心でき、結果的に本人の認知症の中核症状は進んでも、心理・行動症状がひどくなることが少なく、本人が穏やかに過ごせること、家族も幸せに暮らせすことができるように感じました。
教育においても、どんな子どもでも、ひとり1人が最も発達できるよう、自ら学ぶ力をつけ、自分の幸せに向かって人生を切り開いてゆくことができるように、考えたしくみが作られているように思います。そうして育った子どもたちは、自分が幸せであると同時にみんなの幸せに貢献できることを学び、そうすることに価値を感じられるように育つのでしょう。
大人が子どもを管理し、一斉に画一の方法で知識を詰め込み、知識の量だけで子どもを比べるような教育で、子どもは本当に幸せになれるのでしょうか。子どもたちの様々なストレスが、子どもをとりまくいろいろな問題となって溢れているように思えてなりません。ひとり1人の子どもが現在を最も良く生きることが、望ましい未来を作り出す力になるのです。今こそ、子どもが現在を最も良く生きるためには何が必要かをしっかりと見据え、それを形にするためのしくみを考えなくてはなりません。見つめるべきは子どもです。ひとり1人の子どもの育ちです。全てをそこから考え、本当に子どものためには何が必要かを議論し、そこを明確にした上で、そのためのしくみを作らなくてはならないのです。たとえそのために今、手間やコストがかかり、回り道のように見えても、それは長期的な視点からは、プラスになると思います。ひとり1人の子どもが望ましい未来を作り出す力を備えるのですから。
ただ、望ましい未来というのが、均質な労働力としての人を育てることだったり、まるで全体主義のように、言われたことに従順に従う人を育てることなのであれば、話はまるで違ってきますが・・・