先日園で事務仕事をしていたら、携帯電話が鳴りました。知らない電話番号からの着信だったので誰だろうと思いながら電話に出てみると、中学高校時代を共に過ごした同級生からでした。
20年くらい前に友人の結婚式で顔を合わせたきりになっていた友人からの電話に驚きながらも、嬉しく、懐かしく思い、「元気にしていますか?」と尋ねました。すぐに「うん!」と答えが返ってくると思っていたのですが、ちょっと間を置いて返ってきたのが「それが、病気しちゃってね・・・」という答えでした。
話を聞いてみると大変そうです。その友人は自分で立ち上げた会社を経営しているのですが、努力の甲斐あって、会社も順調に業績を伸ばしていました。友人は身体の不調を感じながらも忙しさもあって、なかなか病院に行けませんでした。そして、ようやく時間を作って診察を受けたときには、緊急入院、緊急手術だったそうです。何とか一命はとりとめたものの、生存率は10パーセントから30パーセントと診断されたのが2年ほど前の事です。それから自分でも食事や生活をすっかり変えた結果、病気は抱えながらも仕事ができるまでに良くなったということを話してくれました。それを聞いて、私には返すことばがありませんでした。
そうやって、お医者様の力を借りながら、自分で病気を治す努力を重ねて生活している中で、知り合った人から鞍馬に行ってみればと勧められたことがきっかけで私を思い出し、電話をくれたのでした。
この友人からの電話をうけて考えさせられました。自分自身だっていつ病気になるかわからないし、事故に遭うかもしれない。今こうして生きている事があたりまえのように思って、日々かけがえのない時間を無駄に過ごしてしまっていないだろうか。
時間はどんどん過ぎ去り、いのちは少しずつ、しかし着実に短くなってゆく。まるで少ない水に入れられた魚のように。それなのにどうしておもしろおかしく過ごせるものか。頭に火の粉が降りかかり、燃えそうになっているのに、どうしてそれを取り除く努力をしないのか。放逸でいる事なかれ。といった意味のお経の文句を思い出しました。