恵心僧都源信が表した往生要集は念仏によって極楽に往生することを説いて浄土教の基礎を作り、その厭離穢土、欣求浄土の思想は様々な影響を与えたといわれています。厭離すべき穢土として地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道について書かれています。地獄の一部を紹介しましたが、六道講式でも六道が解釈されています。京都産業大学むすびわざ館での声明公演では、地獄道と人道を唱えました。人道の一部を紹介してみます。
まず、「この身常に不浄にして、雑穢その中に満てり」と、人の身の不浄さを説いています。様々な臓器を皮や膜が覆っていて、中には血や膿が充満し、外に汗などを流出している。こんな人間の体は朽ちた城郭のようだ。ちょっとグロテスクな表現ですが、全くその通りです。そして、「一切の諸々の世間に生ある者は皆死に帰す 盛んなる者は必ず衰ふることあり」と無常を説きます。
そして、人として生まれてくるのは難しく、仏法に遇うことも難しい。条件が整っている今が修行の好機なのに、名誉や利益にとらわれ、欲望に翻弄されて浄き行いをしないでいる。一生は尽きても欲望は尽きない。出家して頭を剃っても心を剃らず、衣を染めても心を染めず、いつも世俗のことばかりにとらわれている。破戒の罪は在家の人より重い。恥ずべし恥ずべし、悲しむべし悲しむべし。
しかし、そういう身ではあるけれども、本来全ての徳は自分の心に備わっているのだから自ら求めれば必ず得られる。だから、念仏して修行しなさい。
なんとも心にずしんと重く響くことばです。取るに足らないものに執着して苦しむばかり、欲望に翻弄されて罪を作るばかり。特に「頭を剃って心を剃らず、衣を染めて心を染めず」の部分を聞くと本当に悲しくなります。
しかし、最後には、「全ての徳は自分の心に備わっているのだから自ら求めれば必ず得られる。」とあり、少し救われる思いがします。とはいっても、安心だけして何もしなければ、あっという間に野辺の煙です。