レイチェルカーソンの『センス・オブ・ワンダー』にこんなことばがあります。
私は、子どもにとっても、どのようにして子どもを教育すべきか頭を悩ませている親にとっても、「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要でないと固く信じています。子どもたちが出会う事実のひとつひとつが、やがて知識や知恵を生みだす種子だとしたら、さまざまな情緒や豊かな感受性は、この種子を育む肥沃な土壌です。幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです。(『センス・オブ・ワンダー』新潮社P24)
ここに大切にしなくてはいけないことがあると思います。豊かな実りのためには、まずはしっかりとした土壌を作ることです。時期が来ていないのに慌てて種をまいても、無理に早く育てようとしても、作物はかえって育たなくなったり、余計なことをすればするほど、弱ってしまったりするものです。
子どもが自ら、何かに取り組もうとする力をしっかり養えば、子どもは自分に必要なことを自ら学んでゆきます。では、その力はどこから来るのでしょう。ひとつは、情緒が安定していることです。お互いの信頼関係の中で認められ、すべて受け止めてもらえる「安心基地」としてのお母さんやお父さん、保育士がいることで安心でき安定できます。失敗したり傷ついたりしたときに、無条件で受け止めてもらえるところがあってこそ、外の世界に向けて飛び出してゆけるのです。どこへいっても指示や命令ばかりで、自分をまるごと受け止めてもらえるところがなければ安心安定はできません。
もう一つは好奇心、探究心です。もともと子どもたちは生まれながらにして探究心をいっぱい持っています。その探究心を発揮して、いろいろなことに興味を持つことが大切です。子どもは必要ではない脳の機能を刈り込み、削ってゆくことで発達することは前にもここで取り上げました。だからせっかく生まれながらにして持っている好奇心探究心を子どもが削ってしまわないようにするのが大人の役割です。
そして、この好奇心や探究心とともにあるのが、感受性です。いくら美しいことに出会っても、おもしろそうなことがあっても、それに気づかなければただ通り過ぎてしまうだけです。
これは教えることはできません。だれかが何かを「美しいな」と感じたり、「すごいな」と感動し、「おもしろい」と興味を持ち、「楽しい」と取り組んでいいる場に居合わせる、皆で一緒に経験し、感動し、楽しむことが大切なのです。
乳幼児期にはこの部分がしっかりと育つことこそが大切です。なぜなら、自ら「美しいな」「すごいな」「なぜだろう」と心を動かされ、「さらに知りたい」「もっとわかりたい」と思って取り組んだことこそ本物の知識になるからです。
大人は知識だけを振り回して、すぐに教えよう、何かをさせようとしがちですが、大人と子どもが一緒に、自ら行い感じる。そんな実践を積み重ね、そこから共に感じ取ることこそが本物になるのでしょうね。
決して向かい合って教える(知識を伝える)のではなく、一緒に同じ対象同じ方向を見つめて、体験を共にしてゆきたいものです。