園長ブログ

声明 4

2013/09/22

「良いあんばい」と言うときの「あんばい」は声明の塩梅(えんばい)と関係があるとわれていると書きました。「ろれつがまわらない」というのは、呂律がまわらないと書きます。呂の旋法か律の旋法かはっきりしない、音階が合わないという意味が転じて、ことばがはっきりしないという意味で使われるようになったそうです。雅楽でも呂律が用いられるので、雅楽からという説もあります。

声明では、ある曲をどれくらいの早さで唱えるかということは明確には示されていませんが、拍子があり、リズミカルに唱える曲も存在します。「序曲」というのが、無拍子の旋律による曲で、拍のない自由なリズムで唱える曲です。一つの旋律の長さ(唱える早さ)は楽譜には示されていませんが、伝承として伝えられていることは、何度も述べてきました。他には「定曲」といわれる拍子を持つ曲もあります。経文の一文字を四拍で唱える「四分全拍子」や二拍で唱える「切声拍子」、他にも複雑な拍子構造を持つ曲もあります。1曲の中に無拍子の「序曲」の部分と拍子のある「定曲」の部分を兼ね備えた「倶曲」というものもあります。また、「破曲」といって「序曲」なので拍子はないのですが、曲の途中で拍子があるかのような部分が現れる曲もあります。

一つの旋律型の長さ(一つの旋律が使用する時間)やある曲をどれくらいの早さで唱えるかということについて楽譜に示されているわけでもないのに、いろいろな拍子があって、しかもそれをみんなで合わせて唱えられるのだろうか。という疑問が湧いてくるのではないかと思いますが、それがちゃんと唱えられるのです。毎回必ず同じ長さで唱えてはいないかもしれませんが、その曲としては合うのです。もちろん、ひとり一人が伝承を受けてそれをマスターしていることは当然ですが、メンバーが一緒にお稽古をすることは必要です。

全てのことを楽譜に表さなくても唱えることができる声明が伝承されてきたのも、察する文化をもつ日本の特徴なのでしょうか。そこまでは言えないにしても、「聞く」ことに重きを置いていることが、根底にあるように思います。

(これまで、述べてきた声明は、天台声明を指します。)

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