声明(しょうみょう)とは、仏教の儀式音楽で、経文に一定の旋律をつけて、法要などで唱えるものです。名前の由来は、サンスクリットの「シャブダビドヤ」の訳語です。シャブダとは「音声」「言語」という意味、ビドヤはものごとを明らかにするという意味です。この「シャブダビドヤ」とは古代インドの学問分野である五明(ごみょう)の一つで、音韻学・文学を指す声明、工芸・技術論という意味の工巧明、医学を指す医方明、倫理学を指す因明、自分の宗教に関する内明の5種類の学問分野です。インドで音韻学、文学を表す語が、日本では仏教の儀式音楽という意味で使われるようになったようです。中国では梵唄とよばれていました。
仏教が日本に伝わるとともに声明も伝わってきたのでしょう。天平勝宝四年(752)に修された東大寺大仏開眼供養会は、一万人の僧侶を請して修された大法会で声明が唱えられていました。平安時代になると、最澄と空海が唐より声明を将来したと言われています。空海の将来したものは真言声明として伝わりましたし、最澄が伝えた天台声明は円仁が入唐によって将来した声明によって興隆しました。現在も仏教各宗派で声明が唱えられています。
そうして仏教の儀式音楽として唱えられていた声明は邦楽の源流ともいわれ、邦楽の発展に大きな影響を与えています。
声明はどんな方法で伝承されるのでしょうか。もともと声明は面授口決といって、お師匠様から教えられたように唱えることが基本で、何度も唱えているうちに覚えてゆくものなのです。ですから、楽譜はありませんでした。のちに博士(はかせ)と呼ばれる楽譜に変わるものが考案され、音の高さや旋律型を表すようになりましたが、博士はもともと備忘のために記されたと言われています。五線譜のように時間的経過を表す要素がないので、みんなで唱える時は、うまく合わせる必要がありますが、そこはなんとなく合ってしまいます。声明ではなくても「お経は耳で唱える」と言われるように、まわりの人の声を聞きながら唱えているのです。