今年も、お寺で源義経を偲ぶ法要「義経祭」が奉修されました。台風18号の接近で未明から激しい雨が降っていたので、法要だけでなく、様々な奉納も行われ、たくさんの人が参加、見学されるのに、大丈夫なのだろうかと心配になっていました。なにより、園児達が出仕することになっていたので、雨が強くなると心配です。5歳児の有志と保護者がが日曜日にもかかわらず出仕に協力してくださったのです。幸い園児達が来る頃には雨は小降りになり、法要の直前には薄日がさす時間もありました。園児達の役目は、毎年同じですが、義経さんにお供え物を捧げることです。どの子もとても丁寧にお供え物を運び供えていました。子どもたちの動きとといいその時の雰囲気といい、心を込めてお供えしている感じが、とてもステキでした。
昨年も書きましたが、いろいろな奉納をされる方々もいらっしゃいます。近隣の合気道の道場の皆さんが今年もいらしてました。日曜日ということもあって、3歳くらいのこどもからおとなまで50名ほどの方々の奉納演舞は見事ですし、小さな子どもでも姿勢や動きがとても美しかったのはとても印象的でした。
他に、奉納があったのが、「しずのおだまき」の踊りの奉納がありましたし、天狗舞鼓という芸能奉納が今年もありました。
奉納の中でも、一絃琴の演奏奉納は心に響く音色が印象的でした。一絃琴とは、文字通り一枚の桐の板に一本の絹糸を張っただけのシンプルな琴です。演奏法は、右手人差し指、左手中指に象牙の蘆菅(ロカン)と呼ばれるつめをはめ、右手で絃をはじき、左手を移動させることで音の高さを変えて演奏します。ギターのようにフレットがあるわけではないので、滑らかな音の変化も表現できそうです。このシンプルな楽器は、静かながらとても深い響きがあって、演奏されると厚みのある音が響きます。
一般的には演奏しながら歌うことが多いようで、今回は清虚洞一絃琴の家元が義経の生涯を題材にした曲を演奏していらっしゃいました。
清虚洞一絃琴は「特に琴学に基づく精神性を重んじている」(清虚洞一絃琴ホームページより)そうで、「清虚とは心が清らかで私心がないこと、月の都にあると言われている宮殿」という意味があるそうです。
私心のない清らかな心。どうすればそんな心になれるのでしょうか。