音声知覚が母語に最適化される生後6〜8カ月から10〜12カ月までに、母語以外のことばを体験すると、そのことばに特有の音も聞き分けられるようになる。という実験結果があります。お父さんが英語を話し、お母さんが日本語を話すといったバイリンガルの人たちは、2つの言語の音を聞き分けることができるようになります。しかし、単純に複数の言語が同じように使えるようになるという訳ではなさそうです。お父さんと話すときは英語で、お母さんと話すときは日本語というように、場面によって使い分けたりすることもあるでしょう。二つの言語の間を行ったり来たりしながら話さなければならないので、バイリンガルの人はバイリンガルの人の苦労があるのだと思います。子どもの時にどちらかだけを使おうとする事もあるそうです。
バイリンガルの人は、ものごとを考えるときにはどちらの言語を使うのでしょうか。その時の状況によるのでしょうか。その時々で自然に選んで考えているのでしょうか。英語と日本語であれば、英語を話す人と話すときは英語で考え、日本語で話すときは日本語で考えているのかもしれません。話す相手がいなくて、ひとりで思索にふけるときなどはどうするのでよう。
いずれにしても二つの言語を行ったり来たりするのには、それなりのエネルギーが必要なのだと思います。
バイリンガルの子に育てるには決して親が教えようとしてはいけない。一緒に学んだり、一緒にことばを使って楽しんだりするなかで、自然に身につけてゆくのが良いといったことを聞きます。
赤ちゃんの時に、2つの言語を聞き分ける能力を持ったとしても、その後2つの言語を使おう、使いたいという意欲が本人になくては、使えるようにはならないのだと思います。
以上は全く私の思ったことなので、学術的な裏付けがあるわけではありません。
麦谷博士の講義の最後にこんな質問が寄せられました。「赤ちゃんの時に言語の知覚が母語に最適化されるなら、大人が英語を聞き流すだけで英語が上達するということはないのですか?」それに対して、麦谷博士は、第2言語を学習する場合は、本人の意欲が一番重要な要素であり、いろいろな教材があるが、どの教材を使っても本人の学ぼうとする意欲が低ければ習得は難しいし、意欲が高ければ習得できる。といった意味のことを答えていらっしゃったように思います。
語学に限らず、どんなことに対しても、この意欲というのが大切なのではないでしょうか。子どもに無理矢理やらせると、そのときは渋々やっても、やらせないとやらなくなります。やりたい、やってみたいという意欲を喚起することが、子どもが自らそのことに取り組むことに繋がるのです。まさに子ども主体、それが大切なのだと思います。