園長ブログ

しあわせ 6

2013/08/30

人間の欲望には際限がないということはよく言われます。確かにそうでしょう。いくらお金を持っていても、もっと欲しいとなるでしょうし、いくら良いものを持っていても、もっと良いものが欲しいとなります。欲しいという欲望と、持っていないという現実の間に苦しみが生まれ、しあわせではなくなります。

ほどほどのところで、「これで充分足りている」と満足できると、苦しみは少なくなって、しあわせを感じることができます。ほどほどを知り、そこで満足できると良いのでしょうけれども、なかなかむずかしいことなのかもしれません。
ただ、自分と違う生活をしている人がいること、「あんな生活したいな」「こんなモノが欲しいな」と思います。しかし情報がなく、自分自身の今の生活が特に不自由はないし、満足できていると、しあわせでいられると思います。それも、しあわせだと思います。
いろいろな情報に触れている中ででも、自分は自分でしあわせと感じられるためには、どうすれば良いのでしょうか。自分でそう思うこと。「私はしあわせだ。」と思うことなのでしょうか。それができれば、物質的な欲望による執着は少なくなるかもしれません。

世界には昔ながらの生活をしていて、未だにお金を使わないで生活している人たちがいます。また、まさに今、お金を使うこ社会に移行しようとしている地域もあって、研究者達の関心を集めているようです。お金を使うことなく生活している人々は、誰かが食べ物を得てきたら、必ずすべて等しく分配するそうです。だれがとってきても、全員に均等に分けるのです。他のものもそうだと言います。

ところが、お金を使い始めた社会では、より多くのお金を得ようとする人が出てきて、開墾をして畑を広げるなど、何か違うことをやろうとするそうです。お金を使わない社会は平等だけれども、横並びで発展(このことばが適切なのかどうかは分かりませんが)変化が少ないといいます。ところがお金を使い始めると、少しでも多くお金を得ようとして、工夫をしたり、アイデアを出したりするのです。平等ではありませんが、何か新しい物や事を生み出す原動力にはなるようです。より多くのお金を得たいという欲望が社会を発展させる原動力となる一面があることも事実です。

しあわせってなんでしょうか?やっぱり難しいと思います。

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