ブータンで2回目の総選挙が行われ、野党が勝利したという報道がされていました。
8世紀、チベット仏教がブータンにもたらされ、それ以来ブータンの社会、文化などすべての面でチベット仏教が大きな役割を果たしてきましたが、国を統一する政治的な枠組みが作られたのは、1616年チベット仏教ドゥック派の高僧シャブドゥン・ンガワン・ナムゲルがチベットからやってきたことに始まります。しかし、実際は多くの地方領主がそれぞれに力を持っていた状態が長く続いていたそうです。1907年ウゲン・ウォンチュックが初代ブータン国王に就任してからブータンはウォンチュック朝の世襲君主に治められるようになりました。その後第三代国王、ジグミ・ドルジ・ウォンチュックは、より民主的な政治を確立するために、1953年に国民議会を設立します。それ以来国王によって徐々に民主化が進められ、2008年に憲法が施行されて立憲君主制に移行しました。国家評議会(上院)と国民議会(下院)による両院制で最初の総選挙では47議席中ブータン調和党 (DPT) が45議席を獲得して圧勝し、第2党の国民民主党 (PDP) は2議席でした。今年2回目の総選挙が行われた結果、野党の人民民主党(PDP)が半数を大きく超える32議席を確保し、与党のブータン調和党(DPT)は15議席にとどまりました。
その結果についてインターネットのニュースサイトでは様々な分析が為されていました。
「都市への人口流入に伴う若者の失業増といった社会問題の深刻化に不満を持つ有権者から野党が支持を集めた。」「ブータン調和党(DPT)の中国への接近姿勢が、最大支援国であるインドとの関係が後退する原因となった。」「『幸福の国』を掲げる同国の『国民総幸福量』(GNH)指標や経済の先行きに対する国民の不安を反映している。」といった具合です。