他人の喜びを自分のことのように感じ、他人の喜びのために何かしたいと思う。そういった視点が、今の経済学には欠けていると、大阪大学大学院経済学研究科教授で、経済思想史が専門の堂目卓夫氏はいいます。個人の喜びは、手にしたモノやカネからのみ生じ、相手の喜びに共感して得られる喜びは考慮されないのが今の経済学なのだそうです。
このような世界では「何のために働くのか」という問いには、「対価として支払われるモノやカネのためという答えしか返ってこないだろう。そして、「他人の悲しみや苦しみを和らげ、喜びを増すため」という答えは、綺麗事か偽善と見なされるだろう。しかし現実の世界では、他人の笑顔や感謝の言葉は、すべての人の「働きがい」や「生きがい」になっているはずである。(2013年6月3日京都新聞夕刊「現代のことば」より)
もちろん、労働の対価として支払われるモノやカネも大切ではありますが、それこそが絶対の目的ではないはずです。「誰かの喜んでくださる顔が見たいから」「ありがとうと言ってもらって嬉しいから」という喜びがあってこそ、働くことが楽しくなるし、もっと誰かに喜んでもらいたいと思えるようになるのではないでしょうか。この喜びと喜びが響き合うところに共感が生まれる。共感の喜びを表す形としてモノやカネが行き来する。モノやカネは「うれしい」「ありがとう」をはこぶメッセンジャーなのかもしれません。
「経済」の意味は「経世済民」、すなわち、「民を苦しみから救い、世を治めること」である。本当に重要なのは、モノやカネの総量ではなく、それらを取り巻く人間関係であり、相互の共感によって和らげられる苦しみや悲しみの総量、そして増幅される喜びの総量である。(2013年6月3日京都新聞夕刊「現代のことば」より)と堂目氏もいっています。
ついつい、目の前に見える現象ばかりに目を奪われ、本当に大切なことが見えなくなりがちです。だからこそ、自らの「ことば」「行動」そして「想い」にいつも注意を払い、何のためにそれをしようとしているのか、どういう意味で言うのか、なぜそう思うのか、平静な心で見つめる必要がありそうです。