源義経、幼名牛若丸は、6歳の時に鞍馬山の東光坊阿闍梨に預けられ、16歳で奥州に向かうまでの10年間を鞍馬山で過ごし、学問や剣術修行に励んだと言われています。鞍馬山を後にした牛若丸は自らの手で元服を行い、九郎義経と名乗りました。後の一ノ谷・八島・壇ノ浦の武勇は有名です。しかし、兄頼朝に疎まれ、衣川で最後を遂げます。悲劇のヒーローとして人々の同情をよんで、判官贔屓と言うことばも生まれました。
鞍馬では、義経公の御魂が幼少期を過ごした懐かしい鞍馬山にお帰りになっているとといわれており、破邪顕正を司る護法魔王尊の脇侍、遮那王尊として祀られています。
義経公の御魂をお慰めすること、破邪顕正のお力を表していただくことを願って、鞍馬寺では毎年、9月15日に義経祭が行われています。祭儀自体は昭和になってから始まったものですが、そのころは、自ら元服するしかなかった義経のために元服式を再現して行っていたようです。現在は元服式は行っていませんが、様々な奉納があります。今年も、法要の間に行われた舞の奉納、法要後に本殿前で行われた合気道の奉納や一絃琴の奉納演奏、天狗舞鼓という芸能奉納などが行われていました。
皆、それぞれにすばらしいのですが、なかでも一絃琴の音色には心を打たれるものがありました。その名の通り1本の絃を弾くことで音を出すのですが、その音の厚みというか深さは1本の絃の音とは思えないほどです。
この義経祭に保育園から年長児12名が参加しました。装束を着けて行列に加わり、お供え物を献じるという役です。子どもたちは慣れているのか緊張しすぎることもなく、凛々しくお供えをし、法要とそれに続く奉納の舞、約1時間のあいだ、一緒にお参りしてくれました。奉納の舞「賤の苧環」を興味深げに、ときおり所作を小さく真似ながら楽しんでみている子もいましたが、暑いなか、慣れない着物を着ての一時間は少し辛かった子もいたかもしれません。お寺の法要に参加することは、良い経験になるとは思いますが、どんな形で参加すると子どもが輝けるのか、少し考える必要があるかもしれないと思いました。