園長ブログ

赤ちゃん学会 11

2013/06/19

「乳幼児の社会性 −乳児からの保育における環境による乳幼児の発達の保障−」というラウンドテーブルでは、発達に偏りのある子が、様々な子どもが関わり合うことのできる集団の中でどのように育つのかという発表もありました。

最近よく発達障害ということがいわれますが、この発達障害であったり「気になる子」ということばが多く使われることが、気になる。という話から発表がはじまりました。私も以前ブログで書きましたが、なぜか「ちがう」ことだけに焦点をおいて「気になる」と言ってしまったり、診断名をつけることで安心してしまったりすることが多いように思います。

発表者は「日本の教育システムがマイノリティーを受け付けないシステムになっているのではないか?」と問いかけていらっしゃいました。大人が、はみ出すことをきらって、子どもを管理するためにカテゴライズしてしまっているのではないだろうか、障害の名称にこだわっていないだろうか。ちょっと違うこと、偏っていることばかりを気にする大人。やたらと分けたがる保育園や小学校の大人。一人一人の発達ではなく、集団ありきで考えたい大人。そんな大人が多すぎるのではないかという問いかけに、そうはありたくないが、ついついそうなってしまっている自分がいるのではないかと、自問しました。

「環境を通して保育する」と保育所保育指針にありますが、その環境をどうとらえるとよいのか。発表者はこんなとらえかたをされていました。物的環境は、保育室の構造化。空間的環境は子どもたちの主体的で自発的な活動の場。そして人的環境は、子どもと子どもの関わり。そして、大人という人的環境、大人のやるべきことは、子ども一人一人をよく見る。待つ。必要なときには手をさしのべることだそうです。大人が主体になって子どもを動かすことが保育ではないのです。

そのはずなのに、どうしても「集団ありき」で集団に一人一人を合わせようとする考え方になってしまいがちです。自分自身がそういう教育環境で育ってきたから、考え方もそうなってしまうのでしょうか。あくまでも子ども主体を忘れずにいたいものです。

スクロール