おいしく、楽しく食事をいただくための大切な要素の一つは、いろいろな人と共に食事をするということです。いろいろな人と食べることで、どうして食べると良いのか、食器やお箸などはどう扱うのか、いろいろなことを見て学んでゆきます。家庭であれば、両親、兄弟、祖父母などと食事するのが良いでしょうし、保育園なら、発達の異なる異年齢の子どもたちに大人が加わって食べると良いと思います。そのなかで、みんながおいしそうに食べているのを見て少しずつ食べられるようになってゆきます。みんなで、「おいしいね!」と言って食べることが大切なのです。
もちろん100%そうなるわけではありません。苦手な食べ物や嫌いな物が一つや二つあってもそれほど気にすることはないと思います。アレルギーとまで言わないにしても身体に合わないものだってあります。ですから当園では嫌いな物は盛りつけてもらうときにほんの少しにすれば良いと言っています。
食べるという営みは自分のいのちをつなぐために他のいのちをいただくということです。他のいのちをいただかないと生き続けることはできません。子どもたちにも機会があるごとにそんなことを伝えています。どこまで理解しているのかよくわかりませんが、先日もそんな話をしていたら、5歳児の子どもたちが「いのちってなに?」「いのちってどこにあんの?」と質問してきて少し戸惑いました。いのちは、私たちがこうして生きているということ、どんなものでもそれぞれに役割を持って存在している。いのちはあらゆるところにみちあふれていると伝えたかったのですが、どう伝えたら良いものか迷いました。
私が昼食を食べ始めるのが遅くなったある日、5歳児の女の子がゆっくりと食べていました。実はその子はお肉が少し苦手で、おかずに入っていた鶏肉に苦戦していたようでした。その子は自分が苦手なことがわかっていて、鶏肉は少しだけにしてもらっていました。それでも、食べにくそうだったので、「大丈夫?」と聞くと、「お肉食べると、おぇー!ってなるねん」というので、「どうしても無理なら残す?」と聞きました。するとその子は、「にわとりさんかわいそうやもん。」といって、本当に少しずつ少しずつ、口に運ぶのです。そのことばを聞いて、にわとりのいのちを活かすために、食べられない鶏肉を一生懸命口に運んでいる姿を見たら、胸の奥から熱いものがこみ上げてきました。
「どうしても無理なら残す?」と聞いた自分の軽率さを反省し、子どもの心の深さに手をあわせました。