教育再生実行会議の「いじめの問題等への対応について」という提言には、どこか違和感を感じてしまいます。法制化ってどういうことなのでしょう。確かに現在のようなひどい状況では、致し方ないのかもしれません。しかし、法制化ということはそれに違反すると罰せられるという意味合いがあると思います。罰せられるのが嫌だからいじめをしないというのは、どこか方向が違うように思えてなりません。
「いじめない」ということは、相手の気持ちに自らの心を運び、「こんなことをしたら、あんなことを言ったら、相手は辛いだろうな。」と想像する心、相手の気持ちを思いやることです。それがなければ、いじめは本当の意味ではなくならないと思います。
子どもは育てられたように育つといいます。誰かの気持ちに思いを馳せることができる子は、乳幼児期に周囲の人に、自分の気持ちを受けとめられ、認められて育った子どもです。そう考えると、いじめが蔓延しているということは、乳幼児期に丸ごとを受けとめられ。認められ、信じられずに育った子が多いということなのでしょうか。
乳幼児の育ちに携わる者としては背筋に寒いものが走ります。今まで、本当に真心を持って、ひとり一人の子どもの気持ちに寄り添ってきただろうか。ひとり一人の子どもを丸ごと信じて見守ってきただろうか。そのままのあなたで良いんだよ。と心の底から受けとめてきただろうか。その時その時は一生懸命やってきたつもりですが、不十分だったかもしれません。もしそうなら、これからはもっともっとそうしてゆきたいと思います。
だって、子どもひとり一人が輝いていてほしいから!いじめたら叱られるからいじめないのではなく、「そんな恐ろしいことはしたくないからしない。」という自らの心中から湧き出る思いで、いじめをしない人でいてほしいから!
こんな考えは甘いのでしょうか・・・?