園長ブログ

信じる

2011/09/13

最初から上手にできたり、練習してできるようになった子がスランプに陥ることがよくあります。今年もそんなことがありました。

運動会で跳び箱に挑戦したい人を募った中に運動が得意な子がいて、その子は少し練習しただけですぐに跳び越せるようになりました。しかし、軽いけがをしてしまいしばらく練習していなかったのです。けがもほぼ治りいざやってみると、前はあれほど簡単に跳べていた跳び箱が全く跳び越せなくなっているのです。勢いもあるしフォームもきれいなのですが、最後に手に重心をおいて体重移動するところができなくて、跳び越せないのです。

保育士は、離れたところから子どもたちを見ています。その子が跳び越せなくて、ちょこんと跳び箱の上に座ってしまうたびに、私は「こうした方がいいよ」と出そうになることばをぐっと飲み込みます。ちゃんとできているのに、最後のところでブレーキをかけてしまっているのがありありとわかるのです。それを見ているうちに、焦りが出てしまったのが私の間違いでした。よせば良いのに、その子に「この方が良いんじゃない?」と言ってしまったのです。

「このあいだまでできていたのにできなくなってる。なんで???どうしよう!?」と一番不安になっていたのはその子のはずなのに、それに追い打ちをかけるようなことをしてしまったので、その不安が堰を切って涙となってあふれ、それ以上できなくなってしまいました。

「見守ることが大切!」とあれほど言っているにもかかわらず自分自身それができていなかったことに気がつき、すぐにその子に謝りましたが、もう手遅れです。

あとは、その子が立ち直るのを信じて待つしかありません。

教えることより、その子の気持ちに寄り添い共感することが必要だったのに、「ああだよ」「こうだよ」「この方が良いんじゃない」と教えたくなってしまったのです。ことばにした方が良いのか、黙って見ている方が良いのかをよく考え、そのときその子に一番適当な方法を選ぶ必要があるのです。その前提は、子どもが自ら育つことを信じ、子ども主体で考えて、必要最小限のお手伝いをさせていただくというスタンスなのです。そんなことはわかっているはずなのに、できていなかったのです。頭でわかっているだけではなく、それを実践してゆくためには、焦りや、我欲に引きずられないよう、自分の心を律することが必要だということを改めて気付かされました。

翌日、その子は見事に立ち直り、運動会当日も軽々と跳び箱を跳び越していました。

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