ナラ枯れには決め手となる有効な対策がないというのが現状ですが、カシナガがあけた穴を爪楊枝で塞いだカシの木の何本かは幹のあちこちから新芽を出していました。どうやら木全体がすぐに枯れてしまったわけではなかったようです。
爪楊枝の効果のほどはよくわかりませんが、カシナガが入ったからといって全ての木がすぐに枯れてしまうわけではないということです。人間でも何かの感染症に感染しても、症状が出る人と出ない人がいるのと似ているのかもしれません。
同じようにカシナガガ入っても、樹齢や生えている場所、入ったカシナガの数、人間がとった対策などなど、何がどう影響するのかは良くわかりませんが、すぐに枯れてしまう木もあれば、また、新芽を出す木もあるのですね。原因(因)がひとつであったとしても、様々な要素、条件(縁)が加わることによって、結果(果)は様々なのです。
ナラ枯れ対策にはいろいろな考え方があります。一つは直接的な原因を取り除くという考え方。ナラ枯れ対策でいえば、カシナガが入った木は伐採して薬剤でくん蒸し、ビニールで密封するという方法。これは、カシナガが他の木に移らないようにするという点では最もわかりやすく効果的でしょう。もう一方で自然に任せるという考え方もあります。その最たるものは、全くなにもしないことでしょう。
前者からは自然と人間が対峙し合っているイメージ、後者からは人間が自然から離れてしまっているイメージを受け、両方とも違和感を感じます。
大きな自然の働きからすれば、人間も他の生き物も生き物以外のものも、同様に自然の構成要素であって、優劣などはなく、同列に様々に繋がり合っているという視点、いわば「自然の一部としての人間」という視点から考えたいと思います。「自然保護」とか「地球に優しく」はどこか、人間が別の所にいる上から目線の感じがしてしまうのです。
カシの木に爪楊枝を差し込む作業をしていた担当者と話をしていたら、「木の力を信じたい。」といっていました。木は一本一本違うのです。カシナガが入ったからといって一律に何かをするというのは、どこかちがうのです。木と話しをすることができるなら「どうすれば良い?」と一本一本に聞いてみたいと思いました。
こんな風に木のことを考えていて思ったことがあります。
子どもだって一人ひとり違うのだから、一斉に一律に何かをさせるのはやっぱり不自然だし、一人ひとりにとって何が必要なのか、何が大切なのかをしっかりととらえ、その子に一番必要な環境を用意する。いわば一人ひとりを大切にすることが一番だと思い直しました。もちろん、子ども一人ひとりを、丸ごと信じ切ることが前提です。