運動行為を共有することが共感することにつながる。共通する運動行為があるからこそ、他者の行動・運動を見たときに自分が同じ行動、運動をしているかのように感じることができ、共感できるのでしょう。誰かが頭をぶつけるのを見て「痛そう!」と感じるのは、自分が頭をぶつけるという運動行為とそれに伴う「痛い」という感覚がなければ感じられないと思います。相手の行為を見て、あたかも自分自身がそれを行っているかのように反応する脳の神経回路、ミラニューロンが働くためにも共通する運動行為が必要なのでしょう。
そういう意味からも赤ちゃんは先ず「動く」ことからはじまるのです。大人は視覚優位なので、「見る」→「聞く」→「考える」→「動く」という順で外界を認知し行動しますが、乳児は「動く」→「触れる」→「見る」→「考える」という順なのだそうです。つまり、最初は運動することで触覚から情報を得、そして聴覚、視覚と感覚の主座が変わってゆくにしたがって、それらの感覚を動員して外界を認知してゆくのだと思います。運動と感覚が相互作用することによって発達してゆくということなのでしょう。
赤ちゃんには共感覚というのがあるそうです。赤ちゃんに目隠しをしてしばらくの間、おしゃぶりを吸ってもらいます。そしてそのおしゃぶりを赤ちゃんの口から離して目隠しを取り、いくつかの他の形のおしゃぶりに混ぜて赤ちゃんに見せると、自分の吸っていたおしゃぶりを一番よく見るそうです。つまり、口や舌から入ってきた触覚刺激を視覚的に認識している、言い換えれば口で見ているということです。
赤ちゃんの口は大人が思っているより忙しそうです。母乳を飲む以外にも、共感覚のように口で見ることもしていますし、口で探ることもしています。触覚をフルに使っているのです。赤ちゃんに取っての触覚は大人にとってのそれとは意味合いが違うようです。