赤ちゃんがことばを聞き、聞き分けるようになりながら、音を発することに始まって、クーイング、喃語からことばを話すようになります。そこにコミュニケーションの発達ということが必要になってきます。
コミュニケーションを辞書で引いてみると、
人間が互いに意思・感情・思考を伝達し合うこと。言語・文字その他視覚・聴覚に訴える身振り・表情・声などの手段によって行う。(大辞林 第三版)
「伝達」「意思の疎通」という意味が、最初に出てきます。英和辞典の中には「心の通い合い」「交流」という語で訳しているものもあります。(ウィズダム英和辞典)
コミュニケーションの語源は、ラテン語のcommunis ( 共通の) communio(交わり、共に 、一致)+ munitare(舗装する、通行可能にする)だそうです。(ウィキペディア「コミュニケーション」)
つまり、共通に交わり共に一致する、共有、共感することによって、はじめて心が通じ合い伝達ができるのです。人と人の間のコミュニケーションでは、伝達するためには共感することが必要なのです。
このことを知って、腑に落ちたことがあります。こちらから一方的に「ああしない!こうしなさい!」「それはダメ!これはダメ!と相手に押し付けても、相手がそう思わなくては、それに共感しなくてはただの一方通行なので、相互に「通行可能」になったわけではありません。もし、力で強制的にそうさせたら、共感なんてできるはずもありません。伝えよう伝えようと力を入れれば入れるほど、強制になり内容を理解しようとしないか、反発を招いてしまうので、伝わるはずがありません。
子どもが良い例です。子どもの望ましくない行動を叱るだけでは、子どもはまた同じことをしてしまいます。それは「自分のしたことで誰かが困るんだ。もうしないでおこう。」と自ら納得したわけではなく、ただ、叱られるのが怖くて、その場では「もうしない。」といっているだけだからです。
◯◯先生は保育が上手だ。あの先生なら子どもたちがよく話を聞く。でも◯◯先生がお休みで、△△先生が保育を担当したら、子どもたちがなかなか話を聞いてくれない。といったことがいわれることがあります。◯◯先生が子どもとの信頼関係をしっかりと築くことができていて、△△先生にまだそれができていないなら、それもわからないではありません。しかし、本当に育って欲しい子どもの力は「話を聞こう」と思って話を聞くことができる力です。子どもにそこが育っていれば、△△先生が話をしても、子どもたちは聞こうとするはずです。もしかしたら子どもたちは◯◯先生に叱られるのが怖いから静かにしているだけかもしれません。
子どもをまとめたり、指示通りに動かすことのできる保育者が、良い保育者だと思われがちですが、果たして本当にそうなのでしょうか。外から見ただけで判断しないほうがよさそうです。