赤ちゃん学の一端を知るだけでも、子どもはお母さんのお腹の中にいる時から、自分の人生を自分自身で主体的に生きている、生きようとしていることがわかりました。そのようにプログラムされていて、そうでなくては発達できないし、自立して生きてゆけないのだと思います。自立し自律することができなければ、人間が生き残り戦略として作ってきた社会というしくみを機能させることはできませんし、社会自体が成り立たなくなります。
もちろん、様々な環境が変化しているわけですから、社会のあり方自体も変わるのでしょうけれど、今は複数の人が協力し合う状態という意味で、社会ということばを使います。
子どもは主体的に生き、自立するようにプログラムされています。しかし、とても弱い存在なので、守ってもらわないと生きてゆくことができません。ですから、大人は子どもが主体的に生きて、自立しようとしているのをうまく応援してあげることが大切です。守りながら応援するのです。主役は、主体はあくまでも子どもなのです。赤ちゃん学に触れることで、この「生きる主体は子ども」ということを再認識しました。
子どもは主体的に生きる。子どもはそうする力も持っているし、そうしようとしているのに、往々にして大人がそれを信じ切ることができず、子どもを自分の思うようにしようとしてしまいがちなのです。もちろん悪気があってそうするのではなく、子どものために良かれと思ってなのですが・・・
よくありがちなのが、過干渉です。少子化で子どもの数が減り、生活も便利になって、子どものことにあれこれ干渉できるようになったからかもしれませんが、ついつい、それをしてはダメ、こうしなさい、ああしなさい、と指示や命令ばかりしがちです。特に多くなるのが、ダメ!あかん!の禁止語です。禁止語を使うなといっているのではありません。危険が迫っている時は強く止めないと、大変なことになります。ところが、それほど切迫した状態ではないにもかかわらず、連発してしまうことがあります。でも本人はそれが良いと思ってしているので、なかなかそれに気づくことはありません。
逆に全くの放任というのもあります。子どもの好き放題を許してしまう、放っておいてしまうことですが、こちらはそれほど多くはないかもしれません。
いずれにしても、子どもが主体的に自分の人生を生きてゆくことにとっては、大きなマイナスだと思います。
いつも子どもの立場で考えたいと思います。大人の都合ではなく・・・
小西先生も「赤ちゃんの気持ちになって考えてよね」とおっしゃっていました。
どこまでも、子どもが主体です。大人が子どもを操作するのではないのです。