組織や肩書きに縛られて本来の自分を発揮できない。小さな頃から箸の上げ下ろしにいたるまでとやかく言われ続けてきたら、自分の中に「確実性」を築くことはできない。言い換えれば、子どもの時に、自ら考えて決めること、そしてその考えに基づいて自ら行動することを思う存分やる。そして、そのことが楽しいという感覚を身につけ、自らどんどん挑戦してゆく経験が、自分の自信や信念を形作ってゆくのだと思います。茂木健一郎氏はそのことを「確実性」とおっしゃっているのではないでしょうか。人生の、世の中の「不確実性」を何とかしてゆく「確実性」を持てるように育てることこそが、その子が一人の人として自立して生きてゆくための基本になるのです。
ところが、箸の上げ下ろしまでとやかく言われる過干渉の保護者のもとで育ってしまうと、その保護者の価値観という限定された文脈の中でしか、自分を発揮できない。そして大人になっても、「組織」や「肩書」によってしか自分を支えることができなくなってしまう。つまり本当の自分自身、素直なあるがままの自分が見えなくなり、わからなくなるのではないでしょうか。
茂木氏のいう「能動性を前提にした「安全基地」の思想」というのは、子どもの主体性、自発性を大切にし、自ら外界の環境に関わる、探求心や挑戦する力を信じて、見守るということだと思います。どうしても、そっちに行ったら危ない。このやり方の方が良い。そんなことしちゃダメ!と手出し口出し干渉をしたくなってしまうものですが、そこは、子どもを信じ、ぐっと我慢して見守る。子どもが、助けを求めてきたときに帰ってくることができる安全基地、安心基地でいることが私たち大人がしなくてはならないことなのです。そういう環境で育つことが、子どもが自分の人生を主人公として生きてゆく力につながるのです。