(おやつ)
・ハムトースト
・ヨーグルトドリンク
*本日の給食の牛丼には、今が旬のグリーンピースを入れました。とても柔らかくて美味しかったです。子ども達も沢山食べてくれました。
2014/04/16
2014/04/15
金銭的剥奪は、子どもの相対的貧困率と、子どもの貧困ギャップという指標を用いて表されましたが、物質的剥奪は子どもの剥奪率という指標で表されます。相対的貧困率は子どもたちが生活している社会での相対的な地位がわかりますが、実際にどのような生活を送っているのかということを表すことはできません。そこで、物質的剥奪(子どもの剥奪率)という指標を用いて測られます。
各国における1歳〜12歳子どもについて、次の8品目のうち2つ以上が欠如している子どもたちの割合によって測られています。8品目とは
1.子どもの年齢と知識水準に適した本(教科書は除く)
2.屋外レジャー用品(自転車、ロー ラースケートなど)
3.屋内ゲーム(子ども1人につき 1つ以上(知育玩具、積み木、盤ゲー ム、コンピューター・ゲームなど)
4.修学旅行や学校行事の参加費
5.宿題をするのに十分な広さと照 明がある静かな場所
6.インターネットへの接続
7.新品の衣服(中古品を除く)
8.誕生日、命名日、宗教行事など のお祝い
です。
これらのうち2項目以上が欠如している子どもの割合で比較しています。日本はこの割合が7.8パーセント31ヵ国中チェコ・ベルギー・スペインに次いで18位です。日本で欠如している割合がもっとも高い項目から順に並べると次のようになります。
・インターネットへの接続(0.11%)
・宿題をするのに十分な広さと照明がある静かな場所(1.0%)
・新品の衣服(中古品を除く)(0.07%)
・屋内ゲーム(子ども1人につき 1つ以上(知育玩具、積み木、盤ゲー ム、コンピューター・ゲームなど)(0.03%)
・屋外レジャー用品(自転車、ロー ラースケートなど)(0.02%)
・誕生日、命名日、宗教行事など のお祝い(0.02%)
・修学旅行や学校行事の参加費(0.01%)
・子どもの年齢と知識水準に適した本(教科書は除く)(0.01%)
「インターネットへの接続」は、子どもが犯罪に巻き込まれるきっかけになる可能性が高いという理由から、日本ではあまり推奨されていないように思うので、欠如率が高いのでしょうか。宿題をするのに十分な広さと照明がある静かな場所が欠如している子どもが1%もいるのですね。新品の衣服が欠如しているというのは、「まだきれいだけれど、サイズが合わなくなくなったから、どうぞ。」と知り合いに差し上げるなどのリサイクルが行われているから、3番目になっているのでしょうか。それとも、もっと深刻な話なのでしょうか。
レポートの所見には、
▶物質的剝奪は、各国の総合的な経済発展水準によって大きく異なる。
▶「長年にわたって高所得を維持してきた」国の多くでは物質的剝奪率が5%に満たない。一方、ラトビア、ブルガリア、ルーマニアなどの非OECD加盟国の物質的剝奪率ははるかに高い。
▶日本の子どもの剝奪率は7.8%で、ほとんどの「長年にわたって高所得を維持してきた」国より高い。
としています。
「長年にわたって高所得を維持してきた」国であるはずの日本で剥奪率が高いのはどういう理由なのでしょう。不思議です。
2014/04/15
2014/04/14
『イノチェンティレポートカード11先進国における子どもの幸福度〜日本との比較特別編集版』では、31ヵ国の子どもたちの状況を「物質的豊かさ」「健康と安全」「教育」「日常生活上のリスク」「住居と環境」の5つの指標を用いて比較しています。
日本が5つの分野のうち、「物質的豊かさ」の項目が一番低いというのにはちょっと驚きです。物が豊かになって心の豊かさが失われ、物の豊かさより、心の豊かさが大切といわれて久しいので、物は豊かなのだと思っていましたが、物質的豊かさも31ヵ国の平均を下回っているなんて、にわかには信じられませんでした。では、物質的豊かさは、どのようにして計るのでしょうか。
この調査で物質的豊かさをはかるための構成要素は「金銭的剥奪」と「物質的剥奪」の2つです。評価の指標として、金銭的剥奪は「子どもの相対的貧困率」と「子どもの貧困ギャップ」。物質的剥奪は「子どもの剝奪率」という指標でそれぞれ表わされるそうです。
子どもの相対的貧困率
金銭的剝奪の評価に用いられている「子どもの相対的貧困率」とは、世帯所得をもとに国民一人ひとりの所得を計算して順番に並べ、真ん中の人の所得の半分に満たない人の割合です。それぞれが属する社会の大半の子どもたち が「当然のこと」と捉えている利益や機会を得ることができない子どもたちの割合を示していて、単純な購買力よりも国内の所得格差に注目する指標であるため、日本など比較的豊かな先進国でも高い割合が示されるそうです。日本は 31 カ国中 22 位にランキングされており、これは子どもの相対的貧困率で見た場合、先進諸国の中でも子どもの貧困率が最も高い国 の1つであることを示しています。
子どもの貧困ギャップ
子どもの相対的貧困率は、相対的貧困ラインより下の生活をしている子どもの割合を示していますが、 子どもが貧困ラインのどれほど下にいるのかという、子どもの相対的貧困の深刻度はわかりません。「子どもの貧困ギャップ」は、貧困世帯の所得がどれほど、貧困基準から離れているか、という指標です。つまり、貧困の深刻度を表しています。この指標では、日本は31カ国中26番目。日本では、貧困の子どもが多いと同時に、貧困の深刻度も高い、ということになります。
日本では、所得が相対的貧困ライ ン未満の世帯で暮らしている0〜17 歳の子どもの割合は約 15% で、 その所得は相対的貧困ラインより 30% 以上少ない。一方、オランダ やオーストリアでは、相対的貧困ラ イン未満の世帯で暮らしている子ど もの割合は6〜8% で、その平均 所得は貧困ラインより約 16% 少な いのです。
驚きの数字です。日本では、格差が広がっているということ。そして、貧困にあえいでいる子どもたちが増えているということは間違いないようです。
2014/04/14
2014/04/13
2013年12月『イノチェンティレポートカード11先進国における子どもの幸福度ー日本との比較特別編集版』が発表されました。ユニセフの研究機関であるイノチェンティ研究所では、2000年より先進国の子どもの状況に関する国際比較報告書を刊行しています。2013年4月に発表されたレポートカード11『先進国における子どもの幸福度』では日本に関するデータが不足していて総合評価の対象とされなかったので、国立社会保障・人口問題研究所の阿部彩氏(社会保障応用分析研究部長)と竹沢純子氏(企画部)がイノチェンティ研究所と協力して、厳密に比較できる日本のデータを加えたことにより、『日本との比較特別編集版』が発表されたのです。
ヨーロッパ、北アメリカ、日本など31ヵ国の子どもの状況を「物質的豊かさ」「健康と安全」「教育」「日常生活上のリスク」「住居と環境」の5つの項目で比較しています。調査の結果、総合順位は
1位 オランダ
2位 フィンランド
3位 アイスランド
4位 ノルウェー
5位 スウェーデン
6位 日本
7位 ドイツ
8位 スイス
9位 ルクセンブルク
10位 ベルギー
です。
これを見ると、日本はトップクラスです。ドイツ、スイス、ベルギーなどは日本よりもずっと上位にランキングされていそうですが、そうでもないのです。しかし、日本の6位は、上位5ヵ国と比べると事情が少し異なるようです。上位5ヵ国は5つの全ての分野で成績が良いのに対して、日本は「教育」「日常生活上のリスク」で1位になったのですが、「物質的豊かさ」では31ヵ国中21位になるなど、分野によってばらつきが見られたそうです。5つの分野は互いに関連性があるので、現在1位の「教育」「日常生活上のリスク」についても、将来的には悪化する可能性があるのだそうです。部分的に飛び抜けているのはどこかいびつなのだと思います。
2014/04/12
ゆっくり散歩してみたいと思うことはありますが、なかなかそうしている時間がありません。こんなに余裕がないのは良くないのですが、しょうがないですね。
先日たまたま、すき間の時間ができたので、散歩してみました。まず、美術館、博物館やホールが集まっている岡崎に用事があって行きました。さすがに桜の盛りは過ぎていましたが、舞い散る桜の花びらが疎水の水面に美しい模様を描いていました。しばらく見ていたら、向こうから満員の乗客を乗せた観光船がやってきました。岡崎桜回廊十石舟めぐりの舟で、約3キロメートルを25分ほどかけて巡るのだそうです。水の上から見る桜も美しいことでしょう。嵐山や伏見、宇治川などでも観光船が運航されているようですが、残念ながらどれにも乗船したことはありません。
その日はお天気が良かったので、鴨川沿いを歩いてみようと思い、岡崎から疎水沿いに鴨川まで出ました。ところが、北寄りの冷たい風が強く吹きつけ、のんびり、ほんわか散歩という感じではありません。かなり寒いなか鴨川を川上に歩きました。ソメイヨシノの花はほとんど散っていましたが、八重桜でしょうか枝垂れ桜でしょうかまだきれいに咲いている桜もあります。川沿いは薄曇りながらも明るい空が開けて、とても開放感があります。河原には、桜、ハナズオウ、ヤマブキ、ユキヤナギなど、いろいろな花が植えられていてそれぞれに美しく咲いていました。季節はずいぶん進んでいるのです。自転車で走る過ぎる高校生、ベンチでくつろぐ老夫婦、サッカーに興じる若者、花見の準備をしている学生、ジョギングを楽しむ人、河原では様々な人が、様々なことをしているものです。
冷たい風が強く寒いので、のんびりという感じではありませんでしたが、景色を見ながら歩くのが楽しく、結局今出川まで4キロメートルくらいを歩いていました。たまにはこんな時間も良いものです。
2014/04/12
2014/04/11
分ける、隔てることから排除が起こる。分けることを徹底してゆくと、ひとり1人がバラバラになってしまいます。突き詰めれば、ひとり1人みんな違うのですから。私たちはそういうふうにできているのです。たとえ、家族といえども同じではありません。それぞれに異なる私たちが、一緒に生きて行くためには、お互いを知り、理解し、認め合うことが必要なのです。障害があるとかないとかという線引きはきわめて曖昧なものです。そうなのに、その線をくっきりと際立たせたくなってしまうのでしょうか。同じように線のこちら側にいると思っている同士でも、ずいぶん違うはずなのに。障害の有無だけでなく、人種や国籍や宗教の違いだって、同じだと思っている同士はどれだけ同じなのでしょうか。
どうしても、他の人も自分と同じように世界をとらえていると、勘違いしがちです。違う人なのですから違うとらえ方をしていることの方が多いのです。その違いを埋めるのは、知ること、理解すること、認めることそして、話し合うことなのだと思います。まず最初にすべきは、相手を受けとめることかもしれません。「この人はこういう人だから!」なんて決めつけることなく、素直にその人のことばを傾聴できると良いのでしょうね。
ひとり1人、決定的に違う私たちは、社会を作って生きるという道を戦略的に選んで歩んできました。最もうまくゆく社会の姿ってどんなでしょう。その社会を構成するひとり1人が、自分を活かせる。そのことでみんなの役に立つことができるというか、その人の良いところを活かせる社会でしょう。
国際障害者年行動計画には、「ある社会がその構成員のいくらかの人々を閉め出すような場合、それは弱くもろい社会なのである。」とあります。弱くもろい社会を作って私たちは生き延びてゆく事ができるのでしょうか。
共生と排除の谷間を埋めて行くために、相互に<知る・理解する・認め合う>回路を創ること、対立から対話に向かう一歩を踏み出すことからやり直すしかない
2014/04/11