子どもたちは五感、特に聴覚、触覚、視覚を目一杯使って、太鼓を感じる体験をしました。金子しゅうめいさんが、一番大きな太鼓を演奏してくださったときは、それまで少しおしゃべりをしていた子も、じっと黙り込み、演奏されているしゅうめいさんを食い入るようにみつめていました。本物の持っているパワーや魅力を子どもたちは敏感に感じ取っていたのだと思います。
全身で太鼓を感じた後は、いよいよ獅子の登場です。緑色の布に包まれた、ひとかか
えほどあるかたまりがしゅうめいさんに抱えられて登場しました。緑色の布は獅子の胴の部分なのですが、包みが解かれて獅子頭が登場すると、子どもたちは一瞬身構えたり、後ずさりしていました。赤いおおきな顔に大きな目と大きな口の獅子がいきなり目の前に登場するのですから、多少たじろぐのも無理はありません。でも泣き出してしまう子はいませんでした。よく見ると獅子の顔はどことなく愛嬌があってかわいらしい顔をしているので、子どもたちはそれを感じる事ができたのでしょうか。それとも節分に登場した鬼に比べたら怖くなかったのでしょうか。理由はよくわかりませんが、この時点で泣く子はいませんでした。
お囃子が始まって獅子が踊り出しました。その動きと言ったら本当に生きているようです。「獅子という生き物がいるのなら、こういう動きをするのだろうと思う。」と言っていた保育士のことばがこのとき腑に落ちました。しゅうめいさんは、舞を始める前に「獅子が何をしているところか考えながら見てね。」と子どもたちにおっしゃっていましたが、何をしているのか子どもにも想像できるような動きにただただ驚くばかりです。
獅子が動き出してしばらくすると、泣き出す子もいました。あまりにもリアルな動きに、感性の豊かな子は本物の獅子という動物が来たと感じたのでしょう。
事前に用意する物のなかに、みかんという項目があったので、なぜみかんが必要なのだろうと思っていたら、獅子が舞っている途中でみかんを食べるのです。それもうまく口にくわえてから一気に丸呑みです。獅子がみかんを食べた瞬間子どもたちからはウヮーと小さな歓声が上がり、大人からは拍手が起こりました。そのみかんは獅子がちゃんと食べて、後で皮を吐き出すという芸の細かさです。みかんを取りに行く獅子の様子も、警戒しながら未知のものに近づいてゆくような仕草が、何ともステキでした。眠る獅子の姿は愛くるしいとでも表現できそうな動きです。その他の動きひとつひとつに感動せずにはいられませんでした。